●美術エッセイ『彼女だけの名画』22:パリ、ルーヴルのあのヴィーナス
2024/01/12
ルーヴル美術館の薄暗いコーナーで、注意深く一眼レフを構える。
フラッシュ撮影は禁止されているので、ぶれないように、シャッターを切らなければならない。高感度フィルムを入れてはいたけれど、これは絶対に失敗したくない一枚だ。
被写体はクラナッハのヴィーナス。小さな絵だからこれを見つけるだけで苦労した。何度も係員のひとに「クラナッハ、ヴィーナス」を繰り返してようやくこの絵の前にたどり着いた。
旅行前、恋人に「おみやげリクエストは?」と尋ねたら「別にいらないけど、あったら、クラナッハのポストカードでも」と言ったから、ミュージアム・ショップで探したけれど見当たらなかった。それでも私はどうしても持って帰ってそれを彼に渡したかった。
カードがないなら写真を撮ろう、そう思って、この絵の前に来たのだ。
すこし意地になっている自分を認めていた。撮るなら完璧に撮りたかった。
レンズを通してヴィーナスを見つめる。
ぞくりとするような切れ長の目は、私ではなく、私の横の誰かを誘惑しているようだ。一瞬、それが私の恋人であるような気がして、カメラをもつ手に力を入れる。
フレーミングが決まらない。いったんカメラを下ろして、恋人が魅せられているヴィーナスの裸体をじっくりと観察した。
ひとめ見ただけでわかる、均整を欠いたスタイル。小さな乳房と膨らんだ下腹、長すぎる脚。
そして派手な金髪の巻毛に朱の帽子。重厚な首飾り。そして隠すためではなく、見せるために手にする透明なヴェール。
画集を見ながらの彼との会話を思い出す。
「無条件降伏。理屈抜きに降参、て感じだよな」
「その魅力はいったい何?」
心中穏やかではない。そして彼はそんな私の様子を察することはない。
「フェロモンだろ」
あっさり答える。
私は絵に限らず、たとえば好きな有名人を恋人に尋ねたとき、その答えが自分と似たタイプならば嬉しく思い、そうでなければ無性に腹が立つ。
現在の恋人がほかの女性を好きになって私と別れたいと願っているという状況で、相手の女性が私と似たタイプであるのとないのとでは、受けるショックが違うと思う。似たタイプのほうがショックは小さい。つらさ、悲しさは同じであっても。
違うタイプのほうになびかれたとき、私は自分自身を否定されたように感じてしまうから、ショックは大きくて当然なのだろう。
それにしても、おもしろいことに、私の恋人はこのヴィーナスのような女性が好みかといえば、そうではない。グラマー好き。
それなのに、このヴィーナスに無条件降伏とは。
澁澤龍彦がクラナッハについてこんなことを書いている。
「女性の倒錯的な美に感動するような気質のひとにとっては、クラナッハの女が、忘れられない魅惑となるに違いない」
ならば、私の恋人はこういう気質ということ。
もしクラナッハの女が現実に現れたら、たちうちできない。
なんたって、「忘れられない魅惑」だ。細かいことを言うようだが、「忘れられない=忘れることができない」、不可能なのだ。それほど強烈に感じているのだ。
そのとき、私はただ諦めるしかない。
それにしても、私からしてみれば、裸体に首飾りと帽子、なんて狙いすぎで見え見えなのに、こういうのに弱いひともいるということ。
そんなことを考えながら再びカメラを構える。
恋人のリクエストに応えて、彼にとっての「忘れられない魅惑」の女を撮るために。
意地だった。完璧に撮る。
私はレンズ越しに、視線の合わないヴィーナスを睨みつけるようにして、慎重にシャッターを切った。
***
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。
「風景のなかのヴィーナス」
ルーカス・クラナッハは16世紀初頭の宗教改革時に活躍したドイツの画家です。あのマルティン・ルターとは仲がよくて、彼の肖像画も多く描いています。
こんなヌードを描くのだから「異端の画家」だったのでは、と思いますが違って、宮廷画家であり、印刷所や薬局を営む商人でもあったというのが意外なところ。
現在では美しいとはいえないプロポーションの女性は当時のパトロンたちの好みだったみたい。ヌードには厳しい時代だから、ヴィーナスとして描いたわけです。