○女性芸術家 ブログ「言葉美術館」 路子倶楽部

○女性芸術家1「リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス」

2023/12/28

マン・レイ 「リー・ミラー ソラリゼーション」1930年頃

 

■リー・ミラー(1907-77)■

 認知度はけっして高くはないと思う。

 そして「リー・ミラーって何者?」と問われたら、困ってしまう。

 ファッション・モデルから写真家に転身、その後エジプト人の大富豪と結婚、別れたのち、戦場をかけめぐるフォト・ジャーナリストになり、その後は一流の料理家として活躍。

 一度きりの人生というステージで、自らいくつもの役を選び、いくつもの役を演じてきたひと。

 このエッセイではふれていないけれど、マン・レイは私が大好きなキキからリー・ミラーに心変わりしている。

 小説「女神 ミューズ」のカヴァーでつかっている絵はマン・レイの作品「天文台の時間ーー恋人たち」。空に浮かぶ唇は最初はキキのものだったけれど、マン・レイの心の変化とともに唇も変化し、完成したときにはリー・ミラーの唇になっていた。

 ミューズの命には限りがある、という意味において、わかる人は少ないだろうけれど、小説の内容、テーマをシニカルに、けれどぴったりと言い当てているような絵の選択だな、と思ったのを覚えています。

 女神 ミューズの小説にもリー・ミラーのことを書きました。このエッセイよりも詳細かもしれない。

 1995年の夏に書いた美術エッセイ、第1回をどうぞ。

 *藝術出版社刊『藝術倶楽部』に連載したものです。

 

***

■リー・ミラー 自分を愛したヴィーナス■

 

 あなたのことはあやしいまでに愛してきた。

 嫉妬に苦しむまでに愛してきた。

 あなたに愛を注ぐあまり、ほかのものにはまるで情熱を注げなくなった。

 そのかわり、あなたが望むことはなんでも、力の及ぶ限りやらせてあげようとした。

 ……あなたが才能を示せば示すほど私の愛が正しかったということになり、

 私の努力が水泡に帰したことを後悔する気持ちがなくなる。

 ……あなただけは失いたくなかったから。

 

 私はこの手紙をマン・レイに書かせた時期の、つまりマン・レイから吸収すべきものはすべて吸収し、彼のもとを未練なく立ち去ってゆく時期のリー・ミラーがいちばん好きだ。

 こんな手紙を恋人に書かせるひと。

「嫉妬に苦しむまでに……」程度であれば珍しくもないけれど、「あなたが才能を示せば示すほど私の愛が正しかったこと……」と言わせるひと。

 才能ある女。愛かけてその才能を伸ばしたいと男に思わせる女。

 しかも、その男はマン・レイ。

 平凡な男ではない。才能あふれる写真家だ。

 リー・ミラー。

 七十年の人生を全速力で駆け抜け、そのどの部分を切り取っても、それぞれ異なった色彩を放つ、強烈に。

 私は、強烈な彼女の人生のなかでもとくに、写真家として活躍していた時期の彼女、パリでシュルレアリストたちと刺激的に交流し、写真家への野心に燃えていた彼女の熱に惹かれる、

 若さゆえもあるだろうけれど怖いもの知らずの無鉄砲さ、美貌に裏打ちされた女の自信、ふれたら火傷をしてしまいそう。

 そしてその時期をともに過ごしたマン・レイとの関係。

 ぞくぞくする。

 選ばれた人間だけが経験できる才能と才能のせめぎあい、ぶつかり合う男と女の本音。

 リー・ミラーの積極的なアプローチによって始まった彼らの関係は、あるときは師弟関係、あるときは写真家とモデル、そしてあるときは恋人同士、さまざまな面をもっていた。

 写真のことに関していえば、お互いの信頼は厚く、ふたりで創作することによって刺激を与えあったし、「ソラリゼーション」(モノクロの写真の白と黒の部分が反転した現象)の技術も偶然ではあったけれど、ふたりの共同作業中に生まれた。

 けれど、恋人としての関係はそうはいかなかった。

 当時のシュルレアリストたちの教条のひとつに自由恋愛があった。それは既成の社会通念からの脱皮をはかる彼らの芸術的試みのひとつだった。

 マン・レイはシュルレアリストであるから、それを試みようとしていた。

 けれど、いともたやすく実践してみせたのはマン・レイではなく、リー・ミラーだった。

 自由恋愛の教条は男側から作られたものだった。そしてそれを作った男たちは、嫉妬や独占欲を前に、自由恋愛の実践にてこずっていた。

 リー・ミラーにとっては簡単なことだった。

 好きな相手と寝ることと恋人を愛することは別の問題、というのが彼女の根本にあった。

 マン・レイは苦しんだ。けれどそんな恋人の姿を見ても彼女は自分のやり方を変えなかった。

 ジャン・コクトーの映画の主演女優として出演することも、コクトー嫌いのマン・レイにとって不愉快だったが、彼女は平然としていた。

 マン・レイのもとで写真の腕をあげた彼女は、当時の人気デザイナーであるシャネルやスキャパレリらを顧客とし、リー・ミラー・スタジオを設立し独立、写真家としても活躍する。

 そしてその後、エジプトの富豪と結婚し、完全にマン・レイのもとを去ってゆく。

 マン・レイの絶望、その取り乱し様は、見るも哀れなほどだった。

 

 マン・レイとの関係はリー・ミラーの人生のなかでほんの一部にすぎない。けれど、芸術家である男女が愛情関係にあったとき、女性が潰れてしまうことが多いなかで、リー・ミラーの強靭さは、きわめて強い光を放つ。

 この間、ある男性とリー・ミラーについての話をした。

 私はまるで自分のことのように得意になって、彼女の普通の人間の十倍も生きたような人生、フォト・ジャーナリストとしての活躍やエピソードを話した。たとえば終戦直後、偶然ヒトラーの住居を発見、彼の使用していた浴室で入浴したことなどを。

 するとその男性は言った。

「満足することを知らなかったひとなんだね」

 どこかで聞いたセリフだと思ったら、以前私自身がまったく同じことを言われた経験があったのだ。

 共感。

 私がリー・ミラーに感じたものは共感なのかな、とぼんやり思っていたらさらにその男性が言った。

「それに、ほんとうにわがままなひとだね」

 そう。彼女の息子も母を「自分を愛したヴィーナス」と言うくらい。

 満足することを知らず、さらなる恍惚、刺激を求め続け、自分の思うままに生きる。たとえそれが周囲の人間を傷つけたとしても。

 そんな生き方をしたいかと問われれば、ちょっと違う、と思う。

 だた、やはり生涯自分のやり方を貫き通した、その姿には拍手したい。はんぱでないところが、とってもいい。

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