■卒業式
昨日3月23日は「シャネル哲学」の発売日であり、娘が4年間通った慶應義塾大学の卒業式だった。
卒業式を終えた娘と合流し、家族3人で写真館で記念撮影をした。
娘がひとりで撮るのがほとんどだけど、父親と娘、私と娘、そして3人、私と彼、そんなのも撮った。
卒業証書をもつ娘に彼が言う。俺ももちたいなあ。写真館に用意されている「卒業証書」を彼は手にもち嬉しそう。学費納入からの卒業ね、と私は笑った。それぞれの卒業証書を手にし、爆笑しながら写真を撮られている姿を見て、私はしみじみ。
たしかに、今日は卒業の日なんだ。
写真を撮って、友達と食事の約束がある娘と別れてふたりで食事をし、ひとり娘の卒業式の日っぽい会話などをして帰宅。続いて娘が帰宅。3人でパソコンを前に写真を選び、それからいま娘が考えていることなどについて語っていたらあっという間に夜が更けていた。
一夜明けて、いま、これを書きながら過去がつぎつぎと降りかかってくるようだ。
これからも続くだろうけれど、とりあえずの学生生活を終えた娘について言えることは、楽しませてもらったなあ、ということ。もちろんたいへんなこともあったけれど、それでも、娘がいなかったら絶対できなかった経験が、数多くあった。
大学卒業ということに関していえば、4年前、娘に頼まれて第1志望の合否をひとりの部屋で(娘はほかのところの受験だった)、アイフォンを手に心臓ばくばくさせながらサイトにアクセスし、合格を知ったときあふれた涙。彼女の努力(それが想像を絶するものだったとはいえ)をそばで見てきただけなのに、たかが大学受験、と醒めた視線を忘れなかったはずなのに、あふれてとまらない涙のなか、私はこんな想いを彼女に味わわせてもらっているのだ、と思ったことをよく覚えている。
さいきん、いまの私は何によって作られてきたのだろう、と考えていて、何冊かの本や何本かの映画、出逢ったひとたちを思い浮かべている。
人生をふるいにかけたとき、ふるいおとされずに残るものたちだ。
そういう意味でいえば、確実に残るのがドリームチーム。娘の夢子の名前から私たち3人のラインのグループともなっている3人家族をあらわす名。ドリームチームのメンバーであることは私の誇り。
写真は、娘が「大学在学中に出版した本」とともに撮った一枚。