○女性芸術家9「マリー・ローランサン」
2023/12/28
■マリー・ローランサン(1883-1956)
パリに私生児として生まれる。アポリネールとの出逢いから20代のほとんどをキュビズムと関わって過ごす。その後スペインでダダの運動にも参加するが、彼女自身はアバンギャルドな画風とはまったく違う、独特の叙情的画風を貫いた。ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の舞台美術、衣装を担当するなどその地位を確立する一方、肖像画家としても人気を博した。
***
読み返してみて、ぽっと頬そまってしまうほどに、なんというか、このころの私ってこうだったんだなあ、という感想をもちました。
1996年「芸術倶楽部」連載の記事ということでお読みくださいね。30歳のときですので。
それから「うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ」のなかでも、ローランサンにふれている章があります。「恋愛の被害者になれる女の匂い」というタイトルだったかな。
そこでは下記のエッセイでも紹介している「鎮痛剤」を槍玉にあげてしまっています。
「うっかり・・・」も20代なかばから30代なかばに書いたもの。よほどローランサンの絵なり詩なりから漂ってくるものが私、嫌いだったんだなあ、と思います。
ここではふれていないけれど、ローランサンはシャネルの肖像画も描いていて、でも、シャネルはそれがきにいらなくて、ローランサンにつきかえした、ってエピソードもあります。
シャネルの性格考えると、きにいらなそう。
(「マドモワゼル・シャネルの肖像」1923)
それでは、どうぞ。
***
「マリー・ローランサンの絵が好きだと言う人と私は仲良くなれない」
なんて言っていた時期があった。
絵の好みで人を判断するなんて「奢った勘違い女」以外の何者でもない、とも思うが、そんな時期があったのだ。そして、いまはここまで断定的ではないものの、絵の好みには、その人自身がよく表れるとは思っている。
私にとって、ローランサンの絵はあまりにも女らしすぎた。よわく柔らかすぎた。それがなぜだろう、どうしても好きになれなかった。淡いピンク、グレー、ブルーの水が滲んだようなかんじにも、反感に似た感覚をもった。
四、五年前の話で、いまはどちらともいえない、程度にはなっているけれど、なぜあのときはそれほど反感をいだいたのか、いまでは不思議なかんじだ。
恋多き女、といわれた彼女の人生を見たとき、その73年間の生涯で決定的な存在としてうかびあがるのが詩人、アポリーネール。
24歳から30歳のあいだ続いた彼との恋愛はローランサンに画家としても女としても多大な影響を与えた。
当時すでに詩人として確固たる地位を得ていたアポリネールはピカソたち前衛芸術家を応援する美術評論家でもあったのだが、その彼が無名のローランサンの作品を絶賛し、彼女を世に送り出した。
互いの存在によってインスパイアされた恋人たちは、その情熱を自らの作品に昇華させた。
アポリネールは彼女をテーマにいくつもの詩を書き、ローランサンは着実に独自の画風を確立していった。
けれど彼らの関係も6年で幕を閉じる。
きっかけは些細なことだったが、私は彼女が「限界」を感じたことにその根本的理由があったのではないかと考える。
たとえば、アポリネールは、かわったこだわりをもっていた。自分が眠るベッドは神聖なものだから、それにシワが寄ることが許せない。だからローランサンでさえ彼のベッドで眠ることは許されなかった。彼らはソファで愛を交わした。
そしてローランサンに愛を誓いながらもほかの女との情事を重ねた。
この時代の芸術家たちには珍しいことではないけれど、20代のローランサンにとっては許しがたい裏切り行為だった。
そういったことが重なり合って、彼女はアポリネールとの別れを決意したのだと思う。
アポリネールと別れた翌年、ドイツ人の画家と結婚するが、彼女はずっとアポリネールを忘れることができなかった。
そして自分はほかの男と結婚したにもかかわらず、四年後アポリネールが結婚したという知らせを聞いた彼女はふかい悲しみにくれ、それを詩に謳った。
捨てられた女よりもっと哀れなのは
よるべない女です
よるべない女よりもっと哀れなのは
追われた女です
追われた女よりもっと哀れなのは
死んだ女です
死んだ女よりもっと哀れなのは
忘れられた女です
(「鎮痛剤」)
自己陶酔、そして自己憐憫。私自身にもこの要素が多分にあるため彼女の心情がわかるように思うし、恋愛に悩んでいるときはこれに涙するかもしれないが、それでもこの自己憐憫の強烈さはおそろしくさえある。
この詩がつくられた半年後、アポリネールが急死。
7年後夫と離婚。
その後は「女性」との関係を続けてゆく。
(「牝鹿」)
ローランサンの作品には牝鹿が多く描かれるが、これはレズビアンの記号だ。
73歳で亡くなったとき彼女の手には一輪の薔薇、そして胸には遠い日のアポリネールからの手紙がのせられていたという。彼女の遺言によって。
ローランサンのことを「永遠の少女」と呼ぶ人もいある。
たしかにそうなのかもしれない。彼女の絵は夢見る少女のそれに似ているかもしれない。
いつだったか、パリのオランジュリー美術館でローランサンの絵を観たとき、隣にいた友人が言った言葉を思い出す。
「ローランサンの絵を観ていると、ほっとするの。たしかに非現実的なおとぎ話に似たものはあるけれど、現実を描くだけが芸術ではないでしょう。彼女の絵はひとめ観ただけで、マリー・ローランサンだとわかる。それはすごいことだと思う。私はローランサンの絵が好き」
彼女はすこし目を細めて絵を眺めていた。その横顔には彼女の脆さと優しさとがあるようで、私は思った。まだまだ私にはこんな表情、無理だなと。
***
おしまい