■55歳の誕生日
5月2日は55歳の誕生日だった。
前夜は誕生日イヴと称して、お友だちがお祝いしてくれて踊って、なんてあたたかい環境にいるのだろう、と胸をぽかぽかさせながら過ごした。
日付が変わったころに、ふたりのお友だちからライン。そこには、出逢えてよかった、生まれてきてくれてありがとう、という泣けるほどに美しい言葉があった。
当日は家族と過ごした。いつもはどこかのレストランやホテルなどで誕生日を過ごすことが多いのだけれど、前年と同じ、今年も緊急事態宣言下だったし、前夜踊って体がくたくたになっていることが容易に予想できたので、家で、ふたりの料理を食べたい、ケーキはデザネフォールのをリクエスト、一番好きなケーキ屋さんだから、と。
毎年楽しみにしているのが、花束とカード。
50歳のときには50本の薔薇だった。
今年の花束はとっても好みだった。
わあ、すてき。どんなふうなイメージで作ってもらったの?
55歳、上品で妖艶でタンゴを踊る女性、ピンクは入れないでください、って言ったよ。
ふふふ。すごい褒め言葉だ。満足すぎる。
そんな会話を交わした。
カードには、25歳のときから私を見てきているひとならではの言葉があった。さいきん、基本的エネルギーがなくなってきている、とぼやいている私への。
……20代の後半、雑誌FRaUに連載したいって願いをもっていたころのあなたの、それを実現させたいという意志は、細胞レベルですごかった、いまはないと思っているようなところがあるが、ちょっと眠っているだけなのでは、と思う。眠れる森の美魔女といったところか。これからは踊れる森の美魔女のストーリーに期待している、充分にすてきなのだから、リラックスしていこう、アスファルトに咲くたんぽぽに気がつくくらいに。
そのままの文章ではない。もっと熱かった。
娘からは、社会人になったことだし、今後は恩返ししてゆきたい、表現者としてもすごく尊敬している、ママの作品で多くの人を救ってくださいな、とあった。
ふたりからのカードを、私はしずかなこころ持ちで受けとった。
誕生日カードなのだから、マイナスのことはなく、よい部分を誇張して書いてくれているのは承知の上で、しずかに、胸のなかにしまった。ありがとう、って。
誕生日っていいな。身近な人から愛が降り注ぐ日、それを躊躇することなく享受していい日。
あまりに満たされてしまったからかな、すぐに写真や記事をアップしよう、って気にならなかった。いまようやく、記録として残しておきたい、と書いている。
55歳になる直前に、すごく考えた言葉、アミティエ・アムルーズ。恋愛にかぎりなく近い友情、恋人にかぎりなく近い友人、これについて、さらに考えをめぐらせたくなる誕生日だった。