◆月と六ペンス
2016/06/21
サマセット・モームの「月と六ペンス」は、ゴーギャンをモデルにした小説で、芸術ってなんだろうとか、人間ってどうしてこんなにやっかいなんだろう、とかそういうことを考えさせる。
こういう小説が必要なときというのが、ある。
まったくいらないときもあって、そういうときのほうが私は陽気だ。
登場人物にストレーヴという、善良っぽい画家がいて、私は彼がそんなに好きではないけれど、彼がいろんな苦しみを経験したあとに言う、セリフが胸に響いた。
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世の中はつらく厳しい。どうしてここにいるのか誰も知らず、どこへ向かうのかも、誰も知らない。
人は控え目であるべきだ。控え目な生き方の美に目覚めるべきだ。(略)
素朴で無知な人々に愛されるように努めようではないか。
彼らの無知は僕たちの知識より優れている。
僕らも、彼らと同様、片隅の人生で満足し、口を閉ざして素直に穏やかに生きよう。
それが人生の知恵というものだ。
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知識がいったいなんだろう、と思うときが、このところ多い。
本なんて、ぜんぜん読まなくっても、自らの人生を引き受けて、凛と生きているひとはたくさんいる。
いかにもたくさん知識をもっていそうなのに、生きることがわからなくてうろうろしているひとはたくさんいる。
アドラー心理学の本を読んで、「そうか、私には“課題の分離”ができていないから、他者の課題を自分の課題として引き受けてしまって、それで苦しみが増えているんだ!」なんて、ようやく知ることができて、周囲を見てみれば、アドラーなんて名前知らなくても、とっくに課題の分離ができている、親しいひとたちの顔があったりする。
それでも、よくわからないままに、進むしかない。これは性質だからしかたない、と嘆きながらもこんな自分を引き受けないことには何も始まらない。このところ、……もしかしたら自分の性質こそが人生最大の課題かも、とすごく嫌なことを知ってしまったような気がして、しょんぼり。