◆アナイス的生き方と桃の花
2017/02/08
今週末は「アナイス・ニン研究会」にご招待いただいていて、しかも講演(というほどのものではないけど)をすることになっていて、私のなかにはアナイスがいっぱいなんだけど、それをどのように表現しようかと、毎日考えている。
アナイスに出逢って、アナイスの思考回路、アナイスの感情表現、身体の弱いところ、精神のゆらぎに苦しんでいるところ、芸術に生きたいと願っているところ、好奇心、男たちにたいする愛情、そのすべてが自分を見ているようで、それはほんとうに衝撃で。
私より前に生きた、そしてこんなに多くの人に愛されている作家が、私と同じように考え、悩み、悶え、自己探求を、ほかの人の本とかほかの人の経験を通して、ではなく、自分自身を通して行っていた。
そのことがどれほど私の救いになっただろう。
そしていまも。
私は私の周囲を、「よく見る」。
「よく見るといろんなことが見えます」って大好きな中田耕治先生がおっしゃったから。
よく見る。
するといろんなことが、ほんとうに見えてくる。
いまの私が身を置いている状況、環境は、すべて自分の選択によるものだ。
しかし、そこにアナイスが強く影響していることは明白すぎるほどに明白。
アナイスのように生きたい、と、そのように生きてきた結果が、現在なのだ。
手にしたものもあれば、手放したものもある。
でも、もしかしたらそれは手放したと思っただけであって、実際はそうではないのかもしれない。そう、かたちが変容しただけなのかもしれない。
このところ、愛を感じる人には惜しみなく愛を注いでしまったら? と自分に提案している。これ、恋愛に限らない。
愛を感じる、と思う人すべてに注いでしまったら?
たぶん私の愛は減らないから。どんなに注いでも、なくならないから。
こんなふうに思うときもある。明日はまったく逆のことを言っているかもしれないけど。
それでも、少しずつ、少しずつ、自分自身が変容していることを実感している。
10年前に私は何を考え何を愛しいと思っていたか。
20年前に私は何を考え何を愛しいと思っていたか。
桃の花が、こんなに愛しい。
今日2016年3月3日もほかの日と同じ、唯一無二の一日。