ブログ「言葉美術館」

◆ジェーン・バーキン、コンサートの美

 とろりとしたシルクの白いシャツブラウス、ゆったりとした黒のパンツ、肩までの明るい茶のウエーヴの髪、ゆっくりと歩きながら、黒一色のオーケストラが待つステージに彼女が登場して、最初の笑顔を見せた瞬間、胸がいっぱいになった。涙をひっしでおさえた。

 彼女はそれでも生きていて、そしてこうしてステージに立ち、笑顔を見せている。けれどこの笑顔の裏には、多くの傷がある。とりかえしのつかない、おそらくいま、彼女が、こうして歌っているあいだにも、どくどくと流れ続けている血、ふさがっていない傷がある。

 それでも、彼女は生きている。そしてこんなに、胸うつ、優しい慈愛に満ちた笑顔を見せている。

 2013年の12月16日、ジェーンの3人の娘のひとり、長女のケイトが自殺した。自殺の原因なんて誰にもわからない。薬とアルコールで意識が混濁していたのかもしれない。理由なんてわからないけれど事実としてケイト・バリーは自宅マンションから飛び降りた。1967年生まれ、46歳だった。私とひとつしか違わない。生きていれば52歳。写真家として活躍していた。

 ジェーンの苦しみを想うと、言葉も出ない。子どもを失うということ、しかも自殺という形で失うということが、母親にとってどれほどのものなのか、想像したくもない。すくなくとも私の人生では考え得る悲劇のなかで最悪のものだ。そのとき私自身が生きられるかどうか。

 ジェーンは自分を責めた。娘をなぜ救えなかったのかと責めた。ジェーンは崩壊した。

 あれから4年も経過していない。

 けれど、ジェーンはこうして、生き続け、独特の透き通ったあやうい声で、その瞬間の想いを出し惜しみすることなく、うっとりするメロディー、エスプリに満ちた歌詞を私たちに届けている。

 一曲一曲が、しずかに、深く深く胸の奥底まで沁みる。

 すべて、ジェーンの運命の男セルジュ・ゲンスブールが創った歌で構成されたコンサート。

 トークはほとんどなく、音楽監督兼ピアニストである中島ノブユキ、そして指揮者の栗田博文と微笑み合いながら、オーケストラを讃えながら、歌い続けた。

 私はオーケストラのひとたちの表情にも注目していた。そして彼らのジェーンを見る目とか、くちもとに浮かぶほほえみとかから、ジェーンの人柄が容易に想像できた。ひとりひとりをコマとして扱わない、ひとりひとりの素晴らしさを見るジェーンというひとが。

 とちゅう、「セルジュが、きみはぼくなんかよりずっとすごいんだよって言ってくれたの」と言っていた。

 23歳でセルジュ・ゲンスブールと出逢い、「ジェーン・バーキン」が創られ、事実婚というかたちで10年ちょっと生活をともにし、もっとも刺激的でファッショナブルなカップルとして一時代を征服した。ふたりの間には娘がひとり、フランスを代表する女優のひとり、シャルロット・ゲンスブールだ。今回はシャルロットも一緒に来日した。

 別れて、それぞれ別のパートナーと一緒にいながらも、ふたりは結局、離れなかった。ジェーンはセルジュの歌を歌い続け、セルジュはジェーンのために歌を創り続けた。

 セルジュは1991年に62歳で病死した。最期までジェーンと連絡をとり、ジェーンの生活のことなどを案じていた。セルジュを失ったとき、ジェーンは45歳。

 私は、その世界の才能もないし、興味もそれほどないけれど、妄想的に、コンサートの間中、無精ひげでジタンをくゆらせながら少し背中をまるめて、愛しいまなざしでジェーンを見守るセルジュ・ゲンスブールを感じていた。

 美化するつもりはない、ふたりの間には激しいいさかい、暴力もあった。

 それでも、どうしようもなく離れがたいカップルというのが、そういう組み合わせというのがあるんだ、とジェーンとセルジュについて考えていると、そこにゆきつく。

 23曲中、22曲目はジェーンの姿はなく、ヒット曲のメドレーが、オーケストラの演奏のみで行われた。

 メドレーふたつ目が「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」だった。セルジュとジェーンのデュエット、ジェーンの性の吐息、エロティックな歌詞でスキャンダルとなり、世界的に大ヒットした曲。

 それが流れている間、ジェーンの姿はない。デュエットする相手がもういないから、彼女は歌わない。

 オーケストラのみで聴く「ジュ・テーム・モア・ノン・プリュ」は、なんてせつなく美しかったことか。

 二日前のコンサート、いま思い起こしても、まだ私は、どこか夢を見ていたかのような感覚のなかにある。

 行って本当によかった。

 ジェーン・バーキンという人と、同じ時間同じ場所にいたという事実、そして映像からはとうていわからない、彼女のやわらかで、20も年上なのに、ほんとうにかわいらしく、うっとりとしてしまうような存在というものを、私になりにしっかりと感じとった、という実感があった。

 どんなに苦しく悲しく死ぬほど悲しいことがあっても、生き続けるということ。そういう経験をしたからこそ、与えられるものがあるということ。

 でも。

 そんなの与えられなくてもいいから、死ぬほど悲しい経験なんていらない。

 というのが私の本音、心からの願い。

 けれど、たしかに、私はジェーンからひとすじの希望を受け取った。こころから、ありがとうとかあなたが好きです、言いたくてたまらない。

 ジェーンのささやくような、けれど力強い歌声を聴きながら、時間をかけて、この記事を書いた。大したことのない記事なのに、時間がかかった。涙がとまらなくて、コンサート中、がまんしていたぶん、涙がとまらなくて、自分がほんとに感じたことだけを書きたいから、時間がかかった。

 ジェーンは1946年生まれ。私は1966年。ちょうど20年。20年後、70歳。生きていたら、すこしでもあんなふうな雰囲気を身につけていたい。

 ラストはスタンディングオベーション。泣いているひともいた。そんなひとたちも愛しくて、私としてはめずらしい幸福感につつまれた、そんな稀有なコンサートだった。

 2017年8月19日土曜日 Bunkamura オーチャードホール。ジェーン・バーキン 「バーキン ゲンズブール ザ・シンフォニック」。
 オーケストラ編曲・ピアノ:中島ノブユキ、指揮:栗田博文 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団。

 このコンサートのことは忘れないだろうと思う。

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