■■生まれてみたいか それともやめたいか■■
2016/06/11
イベントの予定が入る時期はいつもそうだ。ゆれる。
なにかのきっかけで、心とか頭脳の隙間から、不安とか惑いに似た匂いの冷気が入ってきて、ゆらゆらする、そんな感じになる。
以前ほど、それが身体そのものに影響を与えなくはなったけど、まだまだだ。
そんなときに拾う言葉は、なつかしい光景を思わせるもの。
先日聞いていた音楽、加藤登紀子の「私が何か望んでもいいとしたら」。
(「愛は全てを赦す」に収録)
何が欲しいのと聞かれたら困るわ
何を望めばいいの 幸せ 不幸せ
いつか幸せが 訪れたとしても
哀しい日々をなつかしむに決まっている
(略)
生まれてくる時も 聞いてくれなかった
生まれてみたいか それともやめたいか
一人都会の中 歩いている時も 誰も尋ねはしない
都会が好きかどうか
この歌詞読んで、「わあ、くらい、不幸体質」と思う?
それとも「哲学の匂いがっ」と思う?
よくわからないけど、わたしはこういう世界に故郷の匂いを感じる。
先日娘が笑いながら絶叫していた。ああー、故郷(ふるさと)に帰りたい!
都会が暑くなってきたからかな。
軽井沢で暮らしていた日々はいろんな人に軽井沢が好きかどうか尋ねられた。
いまは誰も尋ねはしない 都会が好きかどうか。あたりまえなんだろうけどさびしい。