ブログ「言葉美術館」

■バンコク(のホテル)滞在記*8(おしまいの回)

2019/07/08

■これからのことに思いを馳せる

★6月1日(土)11日目。

 朝早くに目が覚めてしまう。

 もいっかい寝よう、と思ったけれど、今日はとくにやることもないし、無理して眠ることもないか、とベッドから抜け出す。

 東京では、数時間で目が覚めてしまったときは、その日やることに支障がないように、睡眠とらなくちゃ、という強迫観念があって薬を飲んで再び眠る、ということをしている。

 これってどうなのかな、と思いつつも、でも睡眠不足だと頭が回らなくて、なんのインスピレーションもわいてこないのがわかっているから、しかたなくそうしている。こうしてどんどん物忘れがひどくなるんだ、私。涙。

 でも、時間的に長く生きるということの意味がわからないでいるから、「いま」のことしか考えられない。それでいいと思っている。

 最期のときについて、よく思いをめぐらせるけれど、その方法がまだ見出せないでいる。それがいつ、どんなふうに訪れるのかもわからない。自らの意思でなくて突然、終わりがくる可能性も大なわけだし。

 こうして私はずっと先のことを考えないで、計画というものをまったくしないで生きてきた。

 だからこんな人生を送っている。自業自得。

 でも、ここのところはこの先5年くらいのことをどうしようか、くらいは考えるようになっている。ずいぶん変わったなと思う。

 4時間くらいしか眠っていないから、やはりぼんやりしている。

 MacBookを取り出して、日記をつらつらと書く。この日記を読んだら、多くの人が傷つくだろう。

 ということは、私はどれだけの言葉をのみこみながら生きているのだろう。

 カミュは言った。「自由とは嘘をつかない権利のことだ」。だとしたら私はぜんぜん自由ではないということ。じゅうぶん承知していることだけれどね。

 このとき書いたことは、主に、将来のことだった。

 いま、「将来」と書いて、自分で笑ってしまった。私の辞書にはなかったはずの単語。

 でも、日記に、これから私、どんなふうに生きてゆきたいんだろう、そんなことについて、あれこれと書いていた。これって「将来」よね。

 

 娘は大学3年生。卒業したら家を出る、と言っている。「シェアハウスに住みたいなあ」と、るんるんモードで言っている。父親にほんとうによく似ている。この部分はとっても安心箇所。

 あと1年半で、私はひとり暮らしとなるわけだ。

 

■「ひとりで生きる」って何?

 

 ひとりきりが合っているような気もするし、ぜんぜんだめなような気もするし。

 もちろん、いつだって、誰かの温もりは欲しいよ。それがなければ、生きていけないよ。これはもう体質だよ。病気といっていいくらい。

 わたしはやはりひとりでは生きられない、ってこちらにきてからも何度となく思った。

 それでも、ひとりで生きなければならない、という事実を認識してもいる。

 なにをもって「ひとりで生きる」と言うかなんだけど、私の場合は、私と同じような感覚で愛の関係性を築けるひとと人生を歩むこと以外は「ひとりで生きる」になる。

 ひとりじゃないって、そういうのがあるんだ、って信じられたことは人生で一度だけ。もう25年くらい前の話。それだって終わりがくる、そしてそれよりも弱くて小さな愛にいくつか出逢ってきて、そのたびに、期待し、そして終わりがきた。

 そんなのを、いやというほど体験してくれば、こうなるのもしかたがないのだろう。

 けれど、それでも愚かな私はどこかで、「もう錯覚でもいいから、信じさせてほしい」という幼い希望を捨てられないでいる。

 

 ひとり暮らし。

 マンションの部屋でひとり。

 というのを思い浮かべてみる。

 間違いなく、引きこもり、うつうつとした日々を送ることだろう。

 そして、誰かが来たなら、帰らないでー、なんて情けない気持ちを抱き、それでも帰られたら涙にくれることだろう。

 バンコクのドリームホテル、ここで、ほんとうに、ひとりっきりの11日間を過ごしただけで、私にはよーくわかった。

 私は、「ひとりきり」という状態で生活してゆくのは、嫌。無理。

 

 いまはたとえ娘が留学とかで長期留守にしても、2階にタンゴサロン・ロカがあるおかげで、「ひとりきり。しーん」という状態を味わわないで済んでいる。

 ということは、やはり、次なる生活スタイルもやはり、人々が集う場所兼住居、というのが、一番いいのではないか、と「経済的問題」抜きであれこれ考える。

 ブックカフェとか? バーとか? そんなのがある上階に住むというのがいいのかも。

 あーあ。今年は年末の宝くじでも買おうかな。

 とにかく、ほかのところでは、めいいっぱい迷惑をかけているような気がするので、せめて経済的には誰にも迷惑をかけないような、そういう生活スタイルを考えなければ。

 本だっていつまで書けるか、いつまで出版してもらえるかわからないしね。

 これはネガティブモードで言っているわけではなく、冷静に見極めているだけ。フリーの物書きはみんな、その差はあっても同じようなことを思っているのではないか。

 でも、私が、ここだけはポジティブという性質だからかもしれないけれど、身体をこわしたとか、寝込んだとか、入院したとか、そういう状況になったとき、「Help!」って叫んだなら、何人かのお友だちが助けてくれるような気もしている。女ともだち、男ともだち、ひとりひとりの顔を浮かべて、ばかみたいに、泣きそうになる。

 

■最後のタイ古式マッサージ

 

 日記を書いて、いつもより早めの8時前に朝食に降りてゆく。

 このエレベータも最後ね。写真を撮る。意味不明。

 いつものNさんが「ミチコさーん、明日帰っちゃう、さびしい」とテーブルに来てくれる。

 もう会うことがないであろうNさん。日本人と婚約をして日本に早く行きたいと願っているNさん。一生懸命日本語を勉強しているNさん。彼女が幸せな日々を送れますように、と願う。

 お部屋に戻って、「逃避の名言集」の「文庫版あとがき」を仕上げる。

 それから物語を少しすすめる。

 ミロンガで出会って、FBでつながったひとたちから、「今夜、もし可能だったらレンブラントホテルに来て」とメッセージが入る。

 もちろん、出かけることはできる。それで数時間眠って、空港にゆき、飛行機で眠ればいいだけの話。

 でも、そのときの私にとっては、その「場」に、そこまでの吸引力はなかった。「行けないけれど楽しんで」とそれぞれに返信する。私ったらけっこう律儀じゃないの、なんてつぶやきながら。

 14時。前日のマッサージがあまりに上手だったので予約を入れていた3階のサロンにおりてゆく。

 

 

「CORAN」というこのスパにはお世話になった。6回通った。

「記念に写真を撮らせてください」と言って、ぱちり。

 毎回いただいたレモングラス入りのハーブティーが美味しかったから、これも記念に購入。

 

 夕刻はほとんど毎日通った「ターミナル21」へ。タイビールと簡単な食事を買って帰る。

 ターミナル21の入り口のところから通りを撮った写真をのせておこう。

 あといつか撮ったビールの写真も。

 タイビールばかり飲んでいたな。

 

 

■もうじゅうぶん

 

 明日帰るとなると、もう早く帰りたくてたまらない。「ひとりきり」を堪能した。「寂しい」を堪能した。もういい、って感じ。

 お友だちからライン。

ーー明日帰国だね。逃避旅行はどうだった?

ーーもう、じゅうぶん

ーー楽しめた?

ーー楽しくはない。もういい、ってかんじ。何も解決しないまま。疲れた

ーーそれでも何かは満たされた?

ーーたぶん何かは。それが何かはまったくわからないけれど

ーーそれはきっと帰国してからわかること。見た、聞いた、感じた、でいいんだよ。

ーーうん。切実に感じたことがあって。ひとりで生きたくない、って。もう、痛いくらいに感じた。それだけでも来た意味があるのかな

 そんなやりとりをして、スーツケースに少ない荷物を詰める。

 帰国したら、ひとりで生きるため、現実に行動を起こさなければ、と決意しながら、パッキングをする。矛盾してる。

 

 早起きしたから早く眠れるかと思ったけれど、いろんなことがあたまをぐるぐるまわって、なぜか涙が出てくる。

 枕をだきしめて、坂口安吾の作品の朗読を聴いて眠ろうとするけどだめ。もう一錠薬を飲んで、眠りにつく。

 

■もしかしたらこれ?

★6月2日(日)12日目

 

 翌朝は5時半に起きてシャワーを浴び、支度をして、7時にフロントにおりる。

 チェックアウトの手続きをして、それからお迎えの車が来るまでの30分、レストランで軽く朝食をとる。

 まだ早い時間なのでレストランは空いていて、Nさんが「さびしい、ほんとにさいご」と言いながら、そばにいてくれる。

 ミニ・スムージーもこれが最後ね。と、また写真を撮る。

 レストランの風景も撮る。

 私は「これが最後」って感覚が好きなのかも。そんなふうに思う。

 

 

 お迎えの車に乗って、ドンムアン空港へ。

 

 機内では眠らずに、メモをとっていた

 帰国したら、しなければならないことが、たくさんある。

 ひとつひとつを思い浮かべながら、そんなにげんなりしていないことに安心する。

 機内での私の、たったひとつの希望は、ただただ温もりがほしい、ということだった。

 けれど、帰ればそれが確実にある、という状況ではない自分の人生に疑問を抱いた。

 もしかしたら、これ? 

 この疑問を抱くために、こんなひとり旅をしてみたの? なんて手帳に書きつける。

 そんなに多くを望んではいけない、って40代半ばからの数年間の絶望で、私はもしかしたら諦めすぎてはいなかったか。

 多くを求めると、ろくなことがない、いま、与えられているものに感謝しなさい、って自分に言い聞かせすぎて、自分の欲望をおさえて、しだいに麻痺していたのではなかったか。

 そんなことを書きながら愕然とする。

 一方で、いいえ、いまはまだ回復期だから、そんなに焦らないで、とまたしても自分に言い聞かせる。

 ねえ。なんのために、言い聞かせるわけ?

 そんなの決まっているじゃない、もう、負傷するのが嫌だからだよ。傷を負うのがこわいからだよ。

 でも、そんなのを恐れながら生きる人生になんの意味があるの?

 自問自答は果てしなく続き、殴り書きで手帳がうまってゆく。

 

 モンパルナスのキキじゃないけど、私は、愛を感じることを愛しているの。

 愛がなければ生きている実感が得られないの。そして、愛なくしては書けないの。

 そして私は愛に貪欲なの、これ、自分で治療しようとしたけれどだめなの。

 そろそろ、そこのところに、そう、自分自身に忠実に生きてみる時期に来ているのかもしれない。

 

■ただいま

 

 成田空港、無事に着陸する。

 ひとり旅が終わった。

 飛行機を降りてえんえんと続く通路を歩きながら、思った。

 ひとり旅。もうじゅうぶん、と思ったはずなのに、またあの日常が始まると思うと、頭の中に黒い雲がふっとよぎった。

 

 変化させよう。

 ここ10年くらいは、さまざまな事情があり、周囲の流れに身を任せてきたけれど、そして流れに身をまかせるしかないんだけど、どんなにあがいても、人生、なるようにしかならないのはわかっているけれど、それでも、自ら、少しだけ動いてみよう。

 

 小さなスーツケースをピックアップして、税関をぬけて、扉の外、ロビーに出る、

 迎えに来てくれたひとが「おかえりなさい」と言い、私は「ただいま」と言った。

(おしまい)

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