■緊急事態26日目。個人と安吾の人間
今日のニュース。
緊急事態宣言、5月31日まで延長、政府方針。
誕生日は前夜からはしゃぎすぎてしまって、今日はダウン。
「センスなさすぎ」とけなされてしまったかわいそうな花束を解体して活けて、それから「路子倶楽部」会員限定用の小説を書く。
「路子倶楽部」活動開始の告知をして、さっそく入会してくださった方々がおいでだということが、こんなに私の原動力になる。驚くほど。びっくりするほどの入会金で申し込んでくださるひともいて涙が出そうになるけれど、でもたいせつなことを、ここでちゃんとお伝えしたいです。
何人かのひとから問い合わせに対する答えも兼ねて。
問:会費は、一番安いのでもいいですか?
答え:路子倶楽部入会の説明にも書いた通りです。↓
〈私はいつも「個人」を考えます。みなさまそれぞれの事情に思いを馳せるわけです。経済状況、私への気持ち状況。それぞれではないですか?〉
ほんとそう思うのです。ですから会費の設定は、そのまま受け取ってください。
あとは、「男性でも入れますか?」という質問には「もちろん大歓迎」。
「入会はほかの人たちに知られてしまいますか?」については「入会はオープンにはされません」。
そして、退会はいつでもできますので、どうぞお気軽に。いらしてください。
そうよ、あんまり少ないとさすがに、ビデオトークも虚しくなってきちゃう。
ちがう、だめだめ。会員がたった一人でも始めるって決めたから、続けるわよ。
結局、本を書くときでも、最初の読者はたった一人だし、その先の読者とも一対一の関係性、ってことだもの。そう、数じゃない。「一人のひと」との対話。
路子倶楽部については今日のところは以上です。
お疲れモードの今日は坂口安吾の『堕落論』が欲しくて、ソファにごろんとなりながら、読み返していた。
この本にはいくつかのエッセイが収録されていて、今日は「堕落論」「続堕落論」をじっくりと読んだ。
これは終戦後1946年に発表されて話題になったもの。
「続堕落論」のこの箇所はひじょうに面白い。今の世相と重ねて読んだ。
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人間の一生ははかないものだが、また、しかし、人間というものはベラボーなオプチミストでトンチンカンなわけのわからぬオッチョコチョイの存在で、あの戦争の最中、東京の人たちの大半は家をやかれ、壕にすみ、雨にぬれ、行きたくても行き場がないとこぼしていたが、そういう人もいたかもしれぬが、しかし、この生活に妙な落ち着きと訣別しがたい愛情を感じていた人間も少なくはなかったはずで、雨にはぬれ、爆撃にはビクビクしながら、その毎日を結構たのしみはじめていたオプチミストが少なくなかった。
私の近所のオカミサンは爆撃のない日は退屈ねと井戸端会議でふともらして皆に笑われてごまかしたが、笑った方も案外本音はそうなのだと私は思った。
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あとは「堕落論」のこの箇所。
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終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。
人間は永遠に自由ではあり得ない。なぜなら、人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。
政治上の改革は一日にして行われるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏み出した人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。
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いつの時代も、こんぽんのところは同じ。
坂口安吾、安吾さま。
このブログでも何度も何度も書いている。興味のある方は「公式ブログ」から「キーワード検索」で「安吾」って入れてみてください。だだだだーってでてくるはず。いま、してみたら53件だって。ほんとに好きなのね。
今日は早くベッドに入ろう。うっとり眠れそうなすてきなナイティ、新しいのが欲しくてネットで探しているけれど、なかなか見つからない。