▽イングリッシュ・ペイシェント
ずいぶん前、はじめて観たときにも、心動いたはずだった。
芸術作品というものは、観る者の状態次第で、どんなふうにも変容するのだということを、今回の「イングリッシュ・ペイシェント」で再確認した。
以前よりも、ずっとずっと、心に響いたのだ。
なんて素晴らしい映画なのだろう! 久しぶりに一つの映画に囚われた数日を過ごした。
戦争が揺るぎない舞台として設定されている。死が毎朝のトーストのように身近にある、そんな毎日。砂漠という苛酷な自然の中で出会った男女の恋愛を軸に物語は進む。
この恋愛の描き方が、ほんとうに私の好み。恋愛のはじめの、あの欲望、性愛のシーン。かきたてられた。
本人たちにしてみればどんなに特別な恋愛であっても、周囲から見ればありふれた恋愛であることがほとんどだ。そのありふれた恋愛を描いて、観るものをこんなに感動させることができるのは、そこに捨て身の叫びがあるからだ。
これを描きたい、これを伝えたい、これを残したい、という創る側の生命をかけた行為があるからだ。
この映画のなかで、私がもっとも好きなシーンは教会の壁画シーン。
これは、もう、心を鷲づかみにされた。
ジュリエット・ビノシュ演じる看護婦が、つかのまの恋の相手に連れられて、教会へゆく。彼は何をするか彼女に言っていない。教会の内部は暗い。彼は彼女にたいまつを持たせる。そして、彼女を身体がおけるようになっているロープにつかまらせると、あれは滑車の原理みたいな方法になるのだろうか、彼女はぐいっと上昇する。
そして彼女の手に持ったたいまつに照らされて、壁画が浮かび上がる。
そう、彼は彼女に教会の壁画を見せたかったのだ。
教会に描かれた壁画を、たいまつを持つ彼女と一緒に私も「観て」、そして、同じように、心が潤い、壁に描かれた絵に涙した。彼の、彼女に美しいものを見せたいという想いに涙した。
人間は、とんでもなく醜いことをしでかすし、とんでもなく醜いものを作ったりするけれど、とんでもなく美しいものもまた、創るのだ。
しみじみと、芸術というものの価値を感じた、そんな映画でもあった。
それにしても、ほんとうにいい映画だったなあ。もう一回観たい。そしてこの感動を自分一人の胸でぐわんぐわんと回すだけでなく、誰かと共有したい。そんな場が欲しい。