▽映画 ブログ「言葉美術館」

■ビル・エヴァンス、美と真実とDUG■

 

 

 美しいと感じるものがほぼ一致しているお友だちが「とても感動した」というので、夜の渋谷、アップリンクに出かけてきた。

 何日か前からネット予約しようとしていたのだけれど、人気みたいで、すぐに席が埋まっていた。

 ビル・エヴァンス。ジャズピアニスト。

 とても懐かしい名前。

 いまから30年前、私を人生にデビューさせてくれた男性が、クラシックと同じくらいにジャズが好きで、ビル・エヴァンス、チック・コリア、コルトレーンを「カセット・テープ」に録音して、いくつもプレゼントしてくれた。

 私は23歳で、ジャズって何? ってかんじで、でも好きなひとが好きなものを知りたい、その想いだけで毎日のように聴いていた。

 美しいメロディだった。そしてそれらを聴いているだけで、私は、いままでの世界とは別の世界に身を置いているような、ものすごく心地よい空間にいられた。

 彼は車の運転はけっして得意ではなかったけれど、ときおりドライブすることもあり、車中で流れるのもジャズだった。

 私は彼と過ごす時間がとても好きだった。

 いま、彼は生きていれば70歳。一緒にこの映画を観たかった。まだ、彼の声が聞こえてくるような気がする。

 映画を観ていて、彼の匂いを嗅いだようにも感じた。香水ではない。彼の衣服にしみついた煙草と、少し埃っぽい匂い。

 ビル・エヴァンスは、ものすごい才能をもち、それに見合う評価も受け、ジャズ・ピアニストとしては成功した人物とされている。

 ドキュメンタリー映画が作られるくらいなのだから。

 音楽のことは私は語れないから、置いておくとして。

 心に残ったことは。

 10年以上ともに暮らした恋人エレインに、ネネットという名の好きなひとができたと告げ、エレインは地下鉄に身を投げて死んだ。その2ヶ月後、ビル・エヴァンスはネネットと結婚式を挙げる。43歳。ネネットは27歳。

 2ヶ月後に。

 

 もうひとつ。

 ビル・エヴァンスは結局薬物が理由で死んだ。「緩慢な自殺」とも言われている。

 彼が喀血したとき一緒にいた、そして彼を看取った、年若い恋人ローリーの言葉。

「私は救われた気分で幸福だった。だってビルの苦しみが終わったんだもの」

 近くにいた恋人が見ていたビル・エヴァンスが、どれほどの状態だったのか、この言葉以上に語るものはないだろう。

 映画は、ビルの近くにいたひとたちの証言メインで構成されている。みな言う。彼にとっては音楽がすべてだったと。そしてそれは素晴らしいものだったと。

 歌手のトニー・ベネットはビルが死ぬ少し前にビルと電話で会話した。そのときビルは言った。

「美と真実だけを追求し他は忘れろ」

 

 映画が終わってひとり、苦手な渋谷の街を足早に歩きながら、この言葉について考えた。

 美と真実。

 美と真実って、対極にあるような気もしてきて、もちろん帰宅してこれを書いているいまも考えはまとまらない。

 そして、芸術家について、極めて浅いものではあるけれど、20年以上私なりに研究してきて、その核となるのは「インスピレーションの源=ミューズ」と、そして「芸術作品と芸術家の人間性」だ。

 気が遠くなるような美しい芸術作品を創造した芸術家をひとりの人として見たとき、めちゃくちゃ破綻しているケースはぜんぜん少なくない。

 ビル・エヴァンスもそのひとりだったということなのだろう。

 美しいものを創造するために自己を犠牲にしたのね、と美化的な見方はできない。

 ただ、かなしい。人間という生き物がかなしくて愛しい。

 だって、彼はそのようにしか生きられなかった、それだけのことであり、でも、それだけのことが、どれほど自分自身を、周囲の人たちを、傷つけたことか。そしてどれほどの愛を与え、幸福な瞬間を与えたことか。

 それがおそらく「生きる」ということであり、そのなかで、何かを表現したり創造したりしようとしたとき、自己との徹底的な対話が必要となって、誰のせいにもできないし、誰に頼ることもできないから、自分自身を追い詰めることが多くなる。そういうことなんじゃないかな。

 なんて思うと、私はなんだかかなしくてたまらなくなってくる。

 

 これも書いておかなければ。

 ビル・エヴァンス自身の言葉。

「自分の音楽をゼロから創り出したい。積み上げるように。

 というのは、1音を弾くごとに自分が見えてくるんだ」

 胸に迫る言葉。

 そして私は彼に訊ねたい。

 「あなたは死の間際まで素晴らしい演奏をしました。私は知りたいのです。死の間際まで、この言葉を言えましたか? 1音を弾くごとに自分が見えてくる、ってしんそこ、感じていましたか?」

 

 珍しく映画のパンフレットを購入した。

 映画の配給は「オンリー・ハーツ」。いつも素晴らしいパンフレットを作ってくれる。今回のも、私がいつも一番欲しい「字幕」がすべて掲載されていた。ここまでのことをしてくれるパンフレットっていま、どのくらいあるのかな。

 そのなかに、ジャズ・カメラマン中平穂積についての記事があり、涙が出そうなほどに懐かしい店名を目にした。新宿にあるジャズ喫茶「DUG」。

 30年前、彼と何度ここに行ったことか。そこでどれほどいまの私を形成する会話がなされたことか。そして、私からの別れ話もこの店だった。

 むしょうにDUGに行きたい。

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