●美術エッセイ『彼女だけの名画』1:「モナ・リザ」とモノクロのパリ
2024/01/12
モノクロの映画が好きだ。
強引な押しつけや喧騒のない、静かなる世界が好きだ。観るときの心の状態で変化する色彩、観る者によってまったく違って映るであろう色彩の可能性が好きだ。
たとえば、モノクロであるはずなのに、鮮やかな色を見ることがある。その瞬間の映像、セリフが、そのときの私に強く響いたとき、そんなふうになる。
冬のパリで、私はそれに似た感動を経験した。
数年前、ふたりの男性の間で揺れていて、生活すべてが振り子のような状態で仕事もうわの空、もうどうしようもなくなって、一週間後の飛行機のチケットをとった。ちょうど冬の休暇があったのだ。
一週間滞在予定のパリのテーマは絵を観ることでも買い物でもなく、ひとりになることだった。ひとりになって、ふたりの男性から離れて、考えたかった。どちらをもとめているのか、じっくり自問したかった。なにしろ、振り子状態はかれこれ一年くらい続いていたのだから。
ひとりで街を歩き、ひとりでカフェに入る。
十二月末のパリは極寒だ。体が冷えたらカフェに入ってヴァン・ショ(ホットワイン)を飲んだ。温めた赤ワインに、店によってシナモンやレモンが加わる、冬のパリのドリンク。冷えきった体が芯からよろこんでいるのを感じながら、道行く人々を眺める時間は心地よかった。
その日も私は朝からヴァン・ショを飲み、今日はどこへ行こうかとぼんやり考えていた。
なんの予定もない一週間、誰とも会わない一週間。
ふらふらと過ごしながら、けれど、こころのなかでつねに自問。
「いまはどっちといたい?」
答えは、そのときどきで変わった。なんだ、ひとりになって考えたって同じじゃない……。
衝動的にパリに来てしまったけれど、これは無駄に終わるかもしれない、そう思うことも多かった。
酔いがまわり始めるた。ひと恋しさという危険な感情で肌がざわめく。いけないいけない、と自分を抑える。
そのとき、なぜ彼女を思い浮かべたのかはわからない。
けれど唐突に思った。
モナ・リザに会いたい。
私は席を立ち、ルーヴル美術館へと向かった。
ピラミッドの入り口から階下に降りてチケットを買い、「ミロのヴィーナス」も「ナポレオンの戴冠式」も素通りして「モナ・リザ」の前に立った。いつもは人だかりがしているのに、極寒のシーズンの午前中だからか、閑散としていた。この絵の前に立つのは三度目だった。
モナ・リザに見つめられている。
この有名すぎる絵に関する多くの情報、ダ・ヴィンチに関する知識、そんなことはどうでもよかった。
私もモナ・リザを見つめた。
彼女にすべてを見透かされているように思った。
私は長いあいだ、「モナ・リザ」の前に佇んでいた。
ルーヴルを出て、セーヌ河のほとりを歩いた。午後を少しまわった時間。冬のパリは、モノクロ映画のようだ。
寒い。
隣に彼がいてくれたらいいのに。
彼を想い浮かべた。あのあたたかなまなざし、あたたかな腕を。
私はセーヌ河を、そして道を隔てて並ぶカフェ、ブックショップを見渡した。ドアの赤、窓枠の黄、周りを飾る葉の緑……、その鮮やかな色彩に目が眩んだ。
***
「彼女だけの名画」第1回「モナ・リザ」とモノクロのパリ
絵画:レオナルド・ダ・ヴィンチ作「モナ・リザ」
*1996年『FRaU』連載記事に大幅に加筆修正したものです。