◆ルブタンのハイヒール◆2010.1.18
2020/04/22
いったんとけた雪が凍ってスケートリンクのようになっていたり、我が家の駐車スペースのように雪かきというものをしないから、しかも陽が当たらない場所だから、いつまでも雪がある……。
雪のない都会へ出かけるために、スウェードのパンプスを履こうと思ったなら、パンプスを手に持ち、日常用のブーツを履いて車に乗り、車中で履き替える必要がある……。
そのような場所に住んでいながら、いま、とってもハイヒールが履きたくてたまりません。
「ハーパース・バザー日本版」2月号のせいです。
興味深い記事がありました。
そのタイトルはずばり、
「官能シューズ魔術師への質問状 クリスチャン ルブタンとハイヒールをめぐる考察」
です。
ルブタンは私とほぼ同年齢。1964年生まれです。
彼の「ハイヒール哲学」が面白い。
2007年に奇才デヴィット・リンチとコラボレーションした「フェティッシュ展」、とても観たかったです。
ところで、ハイヒールはけっして歩きやすくありません。
ルブタンやマノロ・ブラニクそのほか飾っておきたくなるような美しい靴は、ウォーキング用ではないので、食事やパーティーの数時間用。もちろん車で移動が基本で、駅の構内を歩いたりしてはいけない。と、私は考えています。
ですから、それなりのハイヒールを履こうなどと考えたら、まずはそのハイヒールに費やす現実的な問題から始まって、それに似合う服、似合う生活スタイルというものが問われるわけですから、なかなか、大変なのです。
それでも。
それでも、次のルブタンの言葉に、それでも私は美しいハイヒールが履きたくなるのです。
「なぜ女たちは窮屈なハイヒールを履くのでしょう?」という質問に対するルブタンの答え。
「すべての靴がコンフォタブルである必要はないと思う。コンフォタブルというのは、OKという意味で、GREATというわけではない」
もう、これだけで、私にとっては説得力大です。
さらに、ルブタンは続けます。
「ハイヒールは実用的じゃないかもしれないが、ラグジュアリーで文明的、自分の気分を高揚させてくれる。体のプロポーションや振る舞い方ですら変えてくれる」
その通りです。
そして、次のエピソード。
「以前、パリのショップに一人の女性が来て、『自分の街が好きになった』とお礼を言われたんだ。今までいつも急いでいたから周りの景色を見る余裕がなかったけれど、僕の靴を履いてゆっくり歩くようになったら、美しい街の景色を楽しめるようになった、と。
短い人生、なぜ走る必要がある? 走り過ぎたら何も見られない」
この女性は、たしかにゆっくり歩くことによって美しい景色を発見したのかもしれません。
けれど、ルブタンのハイヒールを履くことによって高揚する気分、美しい靴を履いている自分自身に酔うという状況、そのほか、さまざまなルブタンマジックが、この女性を包み込み、女性の瞳がいつもと違う輝き、潤いを持ち、それが美しい景色につながったのだと、私は思います。
そして、私も大好きなルブタンの赤。
レッドソール(いわゆる靴の裏側、地面に着く部分とヒールの裏側が赤なのです)がルブタンのアイデンティティなのですが、これについて。
「90年代初頭、女性は黒ばかり着ていたから、魅力的なウィンクのように、レッドソールが後ろ姿のアピールになったらいいなと思って」
魅力的なウィンクのように……。
それこそなんて「魅力的な」表現をするひとなのでしょう。
ルブタンのファンになりました。そしてルブタンのハイヒールが欲しくなりました。庭は雪景色ですけれど。