◆マダム・グレのエレガンス◆2009.3.16
2020/04/22
秦早穂子さんの「おしゃれの平手打ち」は、正統なおしゃれ(というのがあれば、の話ですか)について知るにはとても楽しい本です。
ひとつのエッセイをご紹介します。
タイトルは「一枚のオートクチュールの服」。
マダム・グレにまつわるエピソードです。
マダム・グレ。
1930年代、パリのモード界に彗星の如く登場し、ひとつの金字塔を建てたファッション・デザイナー。
芸術的なドレープ、ケープなどがグレの特色のひとつです。
秦早穂子さんは、以前よりグレの服を、虚飾を排した、ごまかしがきかない服だと感じていました。
グレ本人に出会って、作品と人柄が一致していることに驚きます。
「流行を超越してしまった独自の美の世界は、彼女の生きる態度と同じなのである」。
「花は枯れていく時が、いちばんいい香りを出すものなのですよ」
秦さんは、このグレの言葉をしみじみと受けとめます。
そして、いつしか一度はグレの服を着たいという夢がわきあがります。
「服は絵ではない。見て感じればいいというものではあるまい。着てみなければわからない」。
秦さんはグレに手紙を書きます。
「お金持ちではありませんから、働きながらためたお金で一枚だけ作ってはいただけないでしょうか」
オートクチュールは型(ボディ)を制作することもあり、一年に何枚も作ることを前提としているから、これは常識はずれのお願いというものでした。
グレから返事がきました。
「昔、アトリエで働いていた人が結婚してやめる時に、一生懸命ためたお金をもってきて、服をつくってほしいといわれた時は、ほんとうに感動しましたよ」
やがてその一枚を手に入れます。
けれど、「自分で選んだ服なのに私の粗暴さが浮きたつばかりで、とても着こなせない」。
そんな秦さんにグレは言いました。
「エレガンスというのは服装だけではないのですよ。その人の心のあり方、行動、しぐさにも関係してくるのです」。
そんなグレの好きな言葉は、
「女は美しいものはつくるが、武器は造らない」。
秦さんにとってのグレは、この言葉を黙って実行し、「だから凛としていた」ひとでした。
秦さんはこのエッセイを次のように結びます。
「エレガンスの本質を定義するのはむずかしいが、重要な要素のひとつは、やさしさであるように思われる。ある種の哀しみである。だが、それは決してやわではない」。
マダム・グレと、一人の凛とした日本人女性のエピソードに、私は美を感じました。
そして今……。
なんとしても神戸に行きたいと考えています。
なぜなら、このようなものを発見してしまったからです。
4月16日より、「神戸ファッション美術館」で、「マダム・グレの世界展 究極のエレガンス」の特別展示があるのです!
こういうめぐりあわせにはいつもぞくぞくとします。