■私のブエノスアイレス*10■
2018/12/13
ブエノスアイレス5日目、その日もシルビアのレッスンから始まった。
タンゴバルド、エステバン・モルガド、そしてシルビア。
レッスン。
前日にすでに「レッスン方面でも、私はぐちゃぐちゃになっていた」ので、もうこの日は、あたまもからだも浮遊している、すべての輪郭が曖昧、ぼんやり、ふわふわ。シルビアの声さえこだまのよう。あの日のスタジオのイメージ。
ランチはみんなで近くのカフェに。日差しは強く、屋外はもうだめ、とわかっていたので、お店の中につきあってくれるお友だちを誘って、なかで食事をした。あいかわらず、ほとんど食べられない。店内に流れていた曲、英語の。これ、だれだっけ。しばらくして「ああ、マドンナだ」とぼんやり。すっかり頭がおかしくなっている。ほかならまだしもマドンナがわからないだなんて。
今夜はまたしても、めちゃくちゃ楽しみにしている「La Juan D'Arienzo ラ・ファン・ダリエンソ」のライブがある。
楽しみー、と一緒のテーブルのお友だちもわくわくしている。
……たぶん私死ぬんだわ、と私はつぶやく。大っ好きなバンドだもの。命もたないわ、きっと……。
ランチ後、お友だちとシューズショップ「Neo Tango ネオ・タンゴ」へ。
というわけで、ここで、タンゴシューズ物語。
***
まず最初に断っておかなければならない。
2018年に入り、アルゼンチン・ペソが急落していた。つまり、すべてがめちゃくちゃ安かった。もちろんタンゴシューズもね。これ、重要なこと。
日本を発つ前、先生はペソの話をしながら、こう言っていた。
「路子さんがいったい何足シューズを買って帰るのか、たのしみですねー、日本で買う半額以下ですからね!」
「そんなに買わないですよ。いまのが3足いっせいに崩壊しそうだから、3足は欲しいと思っていますけど」
「そんなんで済むはずがないんですよ! お店に行くとね、まずソファに座るでしょ、その前にだだだー、ってシューズが並べられるんです、それを前にしたら、そんなこと言っていられないって」
「誰かパトロンがいれば何足だって買うわよ、でも、そんなに買えないんです。しがない物書きですからね。よくご存じでしょうに」(先生は「編集者」という一面ももっている)
ほんとにパトロンがいるならいいけど、いろいろたいへんなの、私も。公にできないことだらけの人生のなかで……しくしく。有給がない仕事だし……めそめそ。
しかし。
それはそれとして。私は、もともと、タンゴ以前からの靴フェチ。
あぶない、とは思っていた。
それにタンゴシューズは消耗品だし、ね。
***
はじめてブエノスアイレスでタンゴシューズを購入したのは「DIVA」。
ここ、マンションの一室で、エントランスで開錠してもらって、エレベーターで何階だったっけな、忘れちゃった、とにかくエレベーターでその階にゆき、お友だちの家を訪れるみたいに、ピンポンする。
店内にはそれほど商品は並んでいない。お店の人からサイズと好みを問われ、それに答えると、どんどん目の前にシューズが並べられる。先生の言っていた通り。
だから、いつもは選ばないような色のものもあり、それをはいてみると、あらすてき。それにここのシューズ、私の足に合うみたい。クッションもいいから痛くならなそう。
7センチヒールのにしようとは決めてきていた。9センチ、10センチのほうが美しいけれど、ちょっと足を痛めていることもあり、すべて7センチ、と決めてきていた。
ほかのお友だちも、夢中でシューズをはきまくっている。男性のシューズはない。男性2名、女性4名という構成。
男性2名から「買い物につきあうの、つらい」を必死で顔に出さないようにしている様子が、がんがん伝わってくる。
伝わってくるから、やさしい私は「がんばって」とエールを送る。そして「これはどうかしら?」「これとこれはどちらがいい?」「しんけんに考えてこたえてっ」と、あさっての方向を向いている男性2名の注意をひく。
男性2名(ひとりは先生ね)への同情と私のシューズへの情熱は容易に共存する。
***
それから、近くのショッピングモールのなかで、すごいものを食べたな。
小説「殺戮のタンゴ」にあったセリフを思い出す。
「ブエノスアイレスって自慢できるものが3つしかないの。タンゴ、牛肉、ドゥルセ・デ・レチェ」。
このDulce de Leche、ミルクのスイーツ、って意味で、生キャラメルみたいなスイーツ。
これのアイスクリームを食べたのだった。先生がオーダーしてくれたのだけれど、一番小さなカップでも、ものすごーく大きいのが、どーん、と山盛りになって目の前に置かれて、たしかに、美味しかったけれど、ハーゲンダッツ・ミニのカップアイスも半分で充分な私にとっては、1年分食べたようなかんじ。完食できなかったのはしかたがない。あれは無理。
先生が時計を見て言う。
「そろそろ行かないと。閉店前に、駆けこみましょう」
「次、どこでしたっけ」
けだるく問う私は、そう、ドゥルセデレチェ人形。気持ちだけはまるまると肥えているレチェ人形。
先生は嬉しそうに答える。
「コムイルフォーですよ、コムイルフォー!。何足買うかな~」
Comme il Faut コム・イル・フォー。
憧れのブランドね。タンゴシューズとしてだけではなく、美しいハイヒールとしても有名。ときおり東京の百貨店で期間限定のフェアをしているけれど、高額で手が出ません。
さて、このショップも、マンションの一室みたいなかんじ。
お部屋は、やはりそれなりの靴を扱うだけあって、ゴージャスなムードを創出している。
ここも「DIVA」と同じ。自分のサイズ、好みを伝える。すると目の前に、目が眩むほどの美しいシューズが、スタッフの女性によってどんどん運ばれてくる。私は赤と黒のコンビのが欲しかった。そしてとっても気に入ったのが、あって、しまった。なければよかったのに。しかも、やはり日本で買うより、だんぜん安価。
でも。ちょっと左足の一部分があたるなあ、どうしよう。
「夢の靴職人」フェラガモの名言が頭に浮かぶ。
「靴ははいた瞬間から快適でなければならない。はき慣れるということは絶対にない。
店を出る時点でフィットしていない靴は、その後もフィットすることはありえない」
でも、でもっ。ルブタンはこう言っている。
「すべての靴がコンフォタブルである必要はないと思う。
コンフォタブルというのは、OKという意味で、GREATというわけではない」
ああっ。どちらをとるべきっ。
ええ。
GREAT。
……ルブタンを採用。
シューズ。興味ある方は以下の記事を。ためになるわ、自分で言うのもなんだけど。10年前の記事だけれど。
***
19時閉店ぎりぎりまでいて、私たちはコムイルフォーを出た。
男性2名が「閉店間際でよかったですよね、これ、時間に余裕があったら、どれだけいたことか」と囁き合っていたのを私は知っている。
もうシューズは買わない。これでおしまい。あとは日本で、私たちの帰国を待つロカのお友だちから「ほんとにできたらでいいから!」と頼まれていたシューズを見つけるだけ。「DIVA」でも「Comme il Faut」でも彼女の条件を満たすものには出会えなかった。
3日目、「DNI」で彼女の条件にぴったりなシューズを見つけた。もし彼女が気に入らなければ私が履きたいと思った。ブラック・スエードのシューズ。DNIにはComme il Fautのような華やかなものは少ないけれど、とても履きやすい。足に優しい。
(帰国して最初のレッスンが終わってから、彼女に渡した。彼女は気に入ってくれて、私はとっても嬉しかった。一緒に来られたらよかったのに、って思っていたお友だちだったから)
ほんとにシューズはもう買わない。
前日の夜、「言葉シリーズ」の編集者さんから罪なメールが届かなければ、私は5日目、そう、その日の午後「Neo Tango ネオ・タンゴ」に行かなかったと思う。
「ブエノスアイレスの路子先生~! 仕事思い出させちゃって申し訳ないのですが、シャネルとオードリーそれぞれ1万部の大増刷、またまた決定しました~」
ネオ・タンゴは私の足にぴったりのブランド。でも。あのメールさえ届かなかったら行かなかった……と思う。
というわけで、タンゴシューズ物語はこれでおしまい。
(2018.10.31)