●美術エッセイ『彼女だけの名画』6:ロートレックのパリ、「化粧する女」
2024/01/12
夜のパリを歩くと、ロートレックを思い出す。
19世紀末、繁栄の絶頂にあったパリ。その裏側に生きた人々を慈しみをもって描いた画家、ロートレック。
彼のイメージはなぜか「夜」。「普通の人々」が活動する昼間は彼には似合わない。私はそう思う。
ロートレックが毎晩訪れた場所、「ムーランルージュ」。
その名の通り「赤い風車」が店先を飾る。当時はダンスホール、ミュージックホール、そしてキャバレーを組み合わせたような娯楽施設だった。
鉛筆と酒を手に、彼は目にした光景を片っ端から素早くデッサンした。そこで働く踊り子や娼婦たちに魅せられ、彼女たちと一緒に生活を共にした。
パリに行ったなら、絶対、ムーランルージュへ。ロートレックの絵に心打たれたときからずっと私はそう願い続けてきた。
現在は食事やお酒と一緒に、ダンス、歌、さまざまなショーを楽しむことができる場所となっている。少し高かったけれど、ムーランルージュの一席を予約した。
着飾った人々で賑わうホール。私もスーツケースに一着だけいれたドレスを着て胸躍らせる。手品、歌、そして名物のフレンチカンカンに手が痛くなるほど拍手を贈る。
百年前、このあたりにロートレックが座って、同じように手を叩いていたかもしれない。時間を超え、同じ空間にいる、という興奮。私はこのうえなく心地よい酔いに包まれていた。
翌日、オルセー美術館を訪れた。
ロートレックの絵のなかで一番好きな「化粧する女」。
画集でしか知らない、愛しき絵画が、ここにある。
絵の前に、立った。
私は息をつめ、目を細めて絵の女性を見つめた。
せなか。
白く、いくらか丸みを帯びたその背が語る物語。
私はからだのなかでも、背中が一番好きだ。
男でも女でも、そのひとの背中をじっと見るのが好きだ。化粧することもない、つくり笑いもない、無防備な裸の背には、その人の真実があるように思う。
傲慢さ、気弱さ、自信、落ちこみ、などの「物語」がそこにあるようで、いとしい。
いつだったか、当時好きだった男性が同じようなことを言っていた。
「生活とか、生き方の姿勢が出るよな、背中には」
たしか彼はそう言った。
その日家に帰った私は手鏡を使って自分の背中を眺めた。
盛り上がったふたつの肩甲骨。真っ直ぐな背骨のライン。そして両側の筋肉の膨らみ。
驚きだった。自分のからだの一部とは思えないほど、それは「強い」背中だった。
絵の前でそんなことを思い出していた。
この絵の女性の背に注がれる、画家ロートレックの優しい視線。踊り子だろうか。娼婦だろうか。きっと、ひと仕事終えて、いったん腰を下ろしたら、疲れにどっと襲われて動けなくなってしまったのだろう。
けっして美しい姿態とはいえないのに、こんなに惹きつけられる。
それはロートレックの視線に恋しているから。この女性に自分を重ねているから。
いくら外で気取っていたって、誰にでもこんな姿がある。
そこに、こんなやわらかな視線を注げる、そんな男を私はもとめている。
***
「彼女だけの名画」第6回。ロートレックのパリ、「化粧する女」
絵画:ロートレック作「化粧する女 赤毛の女(化粧)」
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。