●美術エッセイ『彼女だけの名画』19:ギリシアにあらわれた、彼の夢の女
2025/11/10
「眠っているときがいちばんかわいい」と、恋人に言われたことがあるひとは、どのくらいいるだろうか。
私は言われたことが多く、これはどう考えても、目覚めているときがよほどかわいくないということ。
相手がそれを口にしたときの状況や言葉の響きにもよるだろうけれど、褒め言葉ではない。「寝顔もかわいいね」くらいなら嬉しいのに。
夏に恋人とギリシアを旅した際、彼は私の寝姿をたくさん撮っていた。あがってきた写真を見て驚いた私は、なぜこんなにたくさん、と彼に尋ねた。すると彼はあっさりと答えた。「だって眠ってばかりいたから」。
そうだった。ギリシアには「シエスタ」という昼寝の習慣があり、私は旅行1日目にしてすっかり染まってしまっていたのだった。時間を持て余して彼はシャッタを切っていたのだろう。
ただ、その写真を見て、妙な感覚を抱いた。その写真に映っている私は、もちろん私なのだけど、私ではないように見えた。
私の姿形は映っている。
けれど、私の内面的な性質はひとかけらも見出せなかったし、その写真からは寝息が聞こえてこなかった。
人形、あるいは死体のようだった。
「デルヴォーの絵みたいだ」
彼が言った。
私は、ロンドンのテイト・ギャラリーで観た1枚の絵を思い出した。
「眠れるヴィーナス」。
爪の先のような三日月。その薄明かりの下に険しい山と重厚な神殿。骸骨、裸体の美女たち。そして豪華な寝台に横たわる全裸の「眠れるヴィーナス」。
画面から月夜の、すこし湿った冷気が漂ってくるような絵。
デルヴォーの絵を、ひとは「夢の絵画」と呼ぶ。
現実にはありえない場面設定。そして必ず登場する、ぱっちりと目を見開いたヌード の、挑発的にアンダーヘアをさらす美女。
そんな姿でありながら彼女たちから体温は感じられない。ふれたらぞっとするほどに冷たいのではないかと思う。
なぜそんなにたくさんの美女を描くのですか。
という問いにデルヴォーはこう答えている。
「なぜって、女性は美しく魅力的だからさ」
味気ない答えだ。
実はデルヴォーには、ずっとずっと彼の奥に強く存在し続ける女性がいた。
彼の母親だ。
彼はマザーコンプレックスだった、という言い方もできるのかもしれない。
幼いころから「母さん以外の女はみな、あなたの心を惑わす悪魔なの。女は自分の体を与える代わりに男を破滅させるのよ」と教えられ、さらには「性行為=梅毒」の恐怖を植えつけられた彼に「普通の恋愛」は難しかった。32歳のとき、ようやく訪れた初恋も母の反対によって挫折した。18年後、つまり50歳のときに再会し結婚しているとはいえ。
デルヴォーにとって「母以外の女」は、ただ眺めるだけ、想像するだけの存在だったのだ。長い間。
彼が35歳のとき、その母が亡くなるが彼女は死んでも息子を支配し続けた。
デルヴォーは何度もヴィーナスを描いているが、彼女たちはみな似ている。いや、同じ顔をしていると言っていい。
彼の母親の言葉「母さん以外の女は……」から、私は想像する。
このヴィーナスは、唯一彼にとって悪魔ではない女=母であり、それは同時にけっして男を破滅させることのない夢の女を意味するのではないか。
眠っているときがいちばんかわいい、という男たち。
彼らもデルヴォーのように、女に「眠れるヴィーナス」をどこかで望んでいるとは言えないか。けっして男を攻撃することも、破滅させることもない、夢の女。
けれどそれは生身の、そこに存在する女では、けっして、ない。
もちろん私自身、でもない。
だから私はあの写真、眠っているときの写真を見て、それを自分ではないモノのように感じたのだ。
そう、まるで、人形か死体のように。
***
1996年「FRaU」の原稿に加筆修正したものです。
デルヴォーが繰り返し描いた女性はすべて、32歳のときの初恋の相手、母親によって引き離された女性だったとも言われています。
テイト・ギャラリーは現在のテイト・ブリテン。
「あがってきた写真」ってあたりは時代ですね。現像に出していたのです。いまだったらすぐに、ほら、こんなの撮ったよ、とか言って見せたりするのかな。
このころは、よく眠っていたことを思い出しました。不眠症とは無縁のころ。
真夏のギリシアの太陽のもと、日焼けなんか気にしないで、遺跡をガンガン歩いていました。
絵はポール・デルヴォーの「眠れるヴィーナス」。好きな絵です。
