●美術エッセイ『彼女だけの名画』23:オルセー、パナシェと別れの予感
2020/08/26
すこし熱があるのかもしれない。風邪をひいたのだろうか。顔や体が火照っているのがわかる。
冬のパリ。美術館のなかを暑いと感じたのははじめてだった。
オルセー美術館を出てすぐの小さなカフェで厚手のコートを脱いだ。喉がからからだった。席に着くなり「パナシェ」をオーダーする。ビールとレモネードの爽やかなこのカクテルは、フランスのカフェでは人気者らしい。たいていどこでも飲める。軽くて、そしてとても美味しい。私のお気に入り。
ごくごくとグラス半分ほど一気に飲むと、軽いアルコールとレモンの果汁が体の隅々までゆきわたるような感覚につつまれ、それはやがて微かな酔いにかわっていった。
面白いもので、美術館で実際その前に立ったときにはあまり感じなかったのに、しばらくしてから突然頭に浮かび、離れなくなる絵というのがある。まるで歌のワンフレーズが止むことなくリフレインするときのように。
二度目のオルセー。ドガの「浴槽」がそれだった。
安っぽい、たらいのなかでうずくまり、片手で体重を支えながら、体を洗う女性。
まったく「絵的」ではない。見られていることを意識していない姿態。けれど、その絵が描かれたということは、まちがいなく、その女性を見つめる画家の視線がある、ということだ。
画家は、自分を演出することなしにひたすら体を洗う、そのままの女性の姿に「美」を見出し、彼女を描いた。
私はドガが彼女の姿をデッサンしている場面を思い浮かべた。
そのとき、ある感情がじわっと広がった。胸の片隅に、インクの染みのように。