◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ
■「いくつもの涙といくつもの笑顔」とチチョと「変化」と
2023/09/10
いま、路子倶楽部で連載している小説「タンゴ、カタルシス」でワルツを使いたいシーンが出てきた。好きなワルツを流しながら、どれにしようか考える。こういう時間は大好き。
ふたりが踊るシーンをイメージして、ラグリマス・イ・ソンリサス( Lágrimas y sonrisas)に決定。
やはりRodolfo Biagi(ロドルフォ・ビアジ)よね。そのピアノ、超絶技巧から「Manos Brujas(魔法の手)」の異名をもつアーティスト。いや、確かに訳は魔法の手、なんだろうけど、私は「魔の指」のほうがいいと思うの。魔の指……なんかぞくぞくするもの。
さて。「ラグリマス・イ・ソンリサス」は Pascual De Gullo(パスクァル・デ・グショ)作曲。
私はこれを「いくつもの涙といくつもの笑顔」と訳している。
難解ではないものの、この訳に決めるまで、かなり時間を要した。
そう、この曲をふくめたワルツばかり聴いていたときがあった。そのときのこと。
Lágrimasは涙の複数形でしょ、sonrisasが迷うところで、ほほえみ、微笑、笑顔、笑い……いくつかの表現がある。
あるひとの人生を思うとき、あるいは、自分のいままでの人生を思うとき、「いくつもの涙といくつものほほえみ(微笑)」はちょっと違う気がする。
涙と、の次にくるものは、ほほえみより、にっこり笑顔が、いいな、と思う。
それで、ユーチューブの動画でこの曲で踊っているひとたちのをざっと見たのだけど、どうしてこんなに響かないんだろう、どうしてこんなに最後まで見ていられないのだろう。
そんななか、ぴかぴかに光っていたのが、このペア。私が好きなChicho Frúmbol(チチョ・フルンボリ)。どうしても見入ってしまう。
いいなあ。私の「いくつもの涙といくつもの笑顔」のイメージにとても近いなあ、そういうタンゴだなあ。とくに、後半のビアジの魔の指が奏でる高音の調べ、あのせつなく胸がしぼりあげられるところ、そのときのふたりの動きや表情が好きだなあ。
このふたりにあって、ほかのひとたちにないものは何だろう(←あくまでも私がざっと観た動画のなかの話です)。
自分のことは棚に上げて、この答えが韜晦趣味的でいやーなかんじだと承知した上で言えばこうなる。
「問:このふたりにあって、ほかのひとたちにないものは何だろう? 答:タンゴとしか言いようがありません」
チチョの動画はたくさん保存してあるけれど、チチョが出ている映画「タンゴ・リブレ」が観たくなった。囚人役でね、男同士ですっごいタンゴを踊るの、チチョ。
というわけで、私が、いいなあ、って思った動画をご紹介します。
こんなことを書いたり観たりしていると、踊りたくてたまらなくなる。