◆私のアナイス アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」
■彼女は「もう耐えられない」と、私は「もうだめかもしれない」と
いつものことじゃない、と言われそうだけど、気分が沈みがちな日々が続いている。精神が疲弊している。しんどいよ、ってのが3分に1度くらいの割合で訪れる。ここひと月くらいそうかな。でも以前のように屍までにはならない。気質だからと諦めている。そんななか、衝動的に立ち上がり行動を起こす。人を誘って出かける。そのときはそこでの楽しみに集中する。ああ、楽しい、って思える一瞬があればそれでいい。
ひとりでバアにゆき、常連さんたちが楽しそうに話すなか、カウンターの隅で、暗く飲む。どう思われてもいい。でもきっと私が帰ったあと、あのひと暗い、だいじょうぶかあ? この場の空気暗くしたよね、みたいなことを言われているに違いない、と被害妄想の渦のなかへ自ら飛びこみ溺れる。
もういやだ、こんなのはいやだ。ほとほといやだ。
こんなときは「路子倶楽部」なんて、やめてしまおう、とも思う。ほんとうにコンテンツを楽しんでくれている人なんてごくわずか。みんなお付き合いで加入してくれているんだ、って申し訳なくなる。どこかに消えたくなる。
つぎの原稿がなかなか進まない。もう私のなかには何も残っていないのではないか、しぼってもしぼっても何もしたたりおちない雑巾みたい。
苦しい。
アナイス・ニンの日記を読む。アナイスしかいまの私をわかってくれる人はいない。
アナイス40歳の冬。
「こう感じたのは、何日のことだったろうーーもう耐えられない、と。だが、それはあまりに激しく襲いかかってきたので、わたしはこわれてしまった。最初の徴候は、極度の衰弱。あんまり弱ってしまって、自宅までの階段も上れないほどだった。山に登るような覚悟で、一段上るごとに休まなければならなかった。次なる徴候は、泣いてしまうこと。泣けて泣けて、仕方なかった。わたしはもう永遠にこわれてしまったのだと思った。肉体的にも、精神的にも。
恐怖、不信、混乱。印刷の仕事は過酷だ。重圧。耐えがたい緊張。つらく苦しい緊張。限界を越えて、自分を追い詰めてしまった」
アナイスは「もう耐えられない」と。
私は違って、一日に何度も頭に浮かぶのは「もうだめかもしれない」。
何か特定のものがだめになるというのではない。ひどく抽象的にそれを感じる。もうだめかもしれない。
アナイスと違うところがもうひとつ。
涙が出てこない。涙まで涸れたのかと思うほどに。
誰からも必要とされず世界で孤立している自分の姿が見える。
こんな日もある、ありすぎるけどねって言い聞かせて、少しでも仕事に向かわないともっと落ちこむぞ、と仕事を始める前にここに心情を記録しておく。
このブログもいつしか、変わってきてしまった。あまり暗いことを書かないようにみたいな、意識が働いている。それこそ、これ、よくない徴候だ。
ここは私の、私だけの世界、誰にどう思われようと、書きたいことを書く、というところから離れたくない。
さびしくてしかたがない。