■自分の美学を周りにも求めるひと
いろんなことが、もう、よくわからなくなって、いろんなことに苛立って、落ちこんで、でも涙が出てこないので、そのひとに会うといつも涙腺がゆるむ人に会いに行った。
出会ってから30年が経つ。
やっぱりすぐに涙腺がゆるんだ。不思議だ。
いろんな話をしたけれど、さいごのほうで私は彼に訊ねた。
「私って、どんなひと? って聞かれていまぱっと浮かぶことは? あんまり考えないですぐに答えて」
彼は言った。
「自分の美学を周りにも求めるひと」
「おしつけてる?」
「おしつけてはいない、と思う。だけど求めてる、それはすごく伝わってくる」
「それって、ほとんどおしつけでは……」
彼は笑って、その話はおしまいになったけど、私は思った。私と生活をともにするって大変なんだろうなあ、って。
それからさらにいろんな話をして、具体例を出さずに私はぼそりと言った。
「なかなか大人になれなくて」
彼は言った。
「大人になるって疲れるよ。疲れることないよ」
涙腺はゆるゆる、意味もなく、涙しながら、ときに笑いながらビールを飲んだ。ひとけのない、レストランの片隅で。
わかれぎわ、ありがとう、って言った。こころから、ありがとう、って。そうしたらまた涙が出てきた。ああ、よかった。まだ、涙腺機能してる。
生活はかたまってやってくる、っていつもメイ・サートンの言葉を思い出すのだけど、ほんとうにそうだと思ったのは、ここ5日間で、それぞれ別の日に、4人のひとと会って話をしたこと。以前から約束していた打ち合わせも含めてだけど。1週間誰とも会わずにひたすらこもっていることが多いのに。まとめてくるのよね、こういうのって。
いろんなひとと話をすると、見えなかったものが見える瞬間がある。違和を感じることもある。共鳴することもある。
これが摩擦。必要摩擦。
頓挫している原稿を、少しすすめよう、そんな気分になれている。
写真は、さいきんまたまたすくわれている、アナイス・ニンの本たち。