▽映画 ブログ「言葉美術館」

■たいせつなひとの誕生日と痛みを感じること、について

 

 

 ここ3週間くらいかな、ひどかった。
 ひとりで落ちこむことさえできず、「もうだめかもしれない」と「HELP!」ラインを送った相手はりきマルソー(りきちゃん)。電話につきあってくれて、次の週は食事に誘ってくれて、話し相手になってくれて、そのあとも、なにかと様子をうかがうラインをくれる。

 それが「心配している、大丈夫ですかー?」という類のものではなく、映画の情報であったり、何かの感想であったりするところが、私は心地いい。

 そんなラインのなかのひとつに、ここに書き留めておきたい、とつよく思うものがあった。

 私が映画『マティアス&マキシム』について書いたブログ記事を読んでのものだった。

 彼は柳美里をほとんど愛していて、さまざまなイベントに参加し、ほとんどの本をもっている大ファンなのだが(←告白。ちょっとジェラシーなの)、彼女のこんな文章を教えてくれた。

「他人の痛みを思い知れ、などという言葉を平気で口にできる人は、他人の痛みを想像する想像力が欠如していると思います。大切なのは、他人の痛みを痛むことはできない、ということに痛みを感じるかどうかなのではないでしょうか。」
(柳美里 「沈黙より軽い言葉を発するなかれ」)

 続けて、「このあいだの路子さんのマティアスのブログを見たときにこれを思い出しました。路子さんは他人の痛みを痛むことはできない、ということに痛みを感じることができる人。だから路子さんのことが好きなんです、きっと」とあった。

 私は胸が熱くなった。「もうだめかもしれない」状態だから、よわいのよ。

 同じ精神圏にいるひとが近くにいてくれて、こんな言葉をくれる、ということ。

 それから考えた。

 いろんなひとがいる。

その1:他人の痛みを思い知れ、などという言葉を平気で口にできるひと。

その2:他人の痛みを痛むことはできない、と知っているけど、ただ知っているだけのひと。

その3:他人の痛みを痛むことはできない、ということに痛みを感じるひと。

 私にとって、

 その1は、できるだけ近くに寄らないように注意深くしなければならないひと。

 その3は、なるべく近くにいたいひと。

 その2が難しい。そして、わりと「その2」のひとも多いような気がする。私にとっては一番寒いひと。

 

 これ、私たちって感受性ゆたかでしょう、って言いたいわけではない。

 痛みを感じることが、激しい落ちこみ、すべてをやめてしまいたい衝動なんかにもつながるわけだから、それなりにしんどいわけで。

 でも、しょうがないよね、気質だから。

 みんな自分のことで精一杯。
 私だってそう。
 だけど、そんななかでも、やっぱり私、りきちゃんみたいな、近しいひとが弱っているときのための、愛情のちっちゃなゆとり、みたいなのをもっていたいと思った。

 今日10月22日は、りきちゃんのお誕生日。

 私よりぴったり20歳年下のりきちゃん。

 お誕生日おめでとう。

 中島みゆきの『誕生』を贈るわ。

 ♪ 生まれてくれて、ウエルカ〜ム ♪

 りきちゃんが好きな女優さんたち集めて、レベル低いけれど、バースデイ画像を作ってみたよ。

*そして、昨日、「よいこの映画時間」58本目、『マティアス&マキシム』をアップしてくれました。私たちのおしゃべり、ぜひ、お読みください。

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