○女性芸術家5「カミーユ・クローデル おまけ:ロダンについてのエッセイ」
■カミーユ・クローデル(1864-1943)
フランス北部の寒村フェール・アン・タルドノワ生まれ。
11歳のころから作品を作り始める。1883年、19歳のときロダンと出逢い、師弟、恋愛関係で結ばれた。
出逢ったときロダンは42歳。カミーユと23の歳の差があった。そして内縁の妻ローズがいた。穏やかなローズ、刺激的なカミーユ、ロダンはどちらかを選ぶことができず、15年間いわゆる三角関係は続いた。
カミーユ30代の半ば、ロダンはカミーユと別れ、ローズを選ぶ。カミーユはロダンに裏切られた思いのなか、それでも芸術で認められようとするが、次第に精神不安定になり、自分の作品を破壊したりし始めるのは40代になったころ。49歳のとき、唯一の理解者であった父親が亡くなったことで統合失調症を発症。家族(母、弟、妹)たちによって精神病院に強制的に入院させられる。以後、30年間を精神病院で過ごし、78歳で亡くなる。何度も退院を懇願したが叶わなかった。
カミーユの入院中、カミーユと仲の悪かった母親は一度も見舞いをせず、妹も1度か2度。弟のポール・クローデルは詩人、外交官として活躍したひとだが、姉に理解を示すものの、最後まで退院を許可しなかった。私はこのポール・クローデルの行動がかなしい。
30年にわたる拘禁生活を強いられたカミーユ。入院してからは創作はしなかった。