○女性芸術家 ブログ「言葉美術館」 路子倶楽部

○女性芸術家10「タマラ・ド・レンピッカ」

2023/12/28

■ラマラ・ド・レンピッカ(1898~1980)

ポーランド、ワルシャワ生まれ。20歳のころ最初の結婚相手とパリに移住し、このころから絵を描き始める。1925年の「アール・デコ展」に出品し、アール・デコの画家として注目を集める。以後、ボルドー国際美術展の金賞を受賞するなど、名声が高まる。35歳のとき、裕福な男爵と再婚、アメリカに渡るが、創作意欲は次第に薄れていった。

***

Young girl in green

 

 

 インパクトのある絵だ、とは思う。

 はっとさせられて、一度観たら、忘れられない。ほかの画家と間違えることもまず、ない。だけど、それだけで、あくまでもそれだけで、それ以上の何か、がない。

 たとえば美術館でこの絵と出逢ったとき、絵の前にじっとたたずんで、想いをめぐらせる、感情移入をする、といったことはないだろうな、と思う。

 それでも不思議だ。彼女に対して私は強い興味をもった。それは、ほおっておけない、という感覚に近いものだった。

 

 歴史に名を残した女性芸術家たちのなかでも、タマラ・ド・レンピッカほど、彼女自身の「スタイル」が、作品に大きな付加価値をつけた女性はいないだろう。

 実際、彼女はずば抜けた美貌のもち主だった。女優のグレタ・ガルボと間違えられるほど、というのだから、そうとうのものだ。

 ファッションや立ち振る舞いも、観るものの目を奪った。取材した記者たちはみな、彼女の爪を彩る真っ赤なマニキュア、エレガントなドレス、華やかな帽子、そして官能的な肉体から漂う雰囲気に圧倒され、競って彼女を賞賛する記事を書いた。

 そんな彼女が絵を描く目的は、きわめて明確だった。そもそものきっかけが、「絵を2枚売るごとにブレスレットを1個買って、手首から肘までをダイヤなどの宝石でいっぱいにしたい」なのだ。

 ジャン・コクトーはタマラを評して、「芸術と上流社会を同時に愛する」と言った。

 彼女が欲しかったもの、それは富と名声だった。

 フランソワーズ・ジロー(画家でありピカソの恋人でもあった女性。私は大好き)はタマラを語るときに「渇望」という言葉を使った。求めて求めて、つねに自分よりも高いところにあるものに手を伸ばして、それを手に入れようと努力をする。

「渇望」。まさにこれが彼女の人生を貫いていたのだと、私も思う。

 そして彼女はみごとに自分の欲しいものを手に入れたのだ。「絵画」という手段、「画家」という職業によって。

「私は明確に潔く描いた最初の女性よ。だから成功したの。多くの絵画を見ても、一目で私の絵ってわかるの。そして画廊は私の絵を最高の場所に展示する。いつもど真ん中よ。私の絵はくっきりとしていて完璧だったわ」

 くっきりとしていて完璧、と自賛するように、タマラは、アングルを溺愛し彼の絵を研究した。それは成功し、「倒錯のアングルイズム」という賞賛の評を批評家たちから得たのだ。

 彼女のやり方に対して、私は「お見事!」と言わずにはいられない。感嘆する。彼女は自分で自分をプロデュースできる人だった。しかも名プロデューサーだった。自分の魅力を充分すぎるほど承知していて、それをどう演出したらもっとも効果的なのか、熟知していたのだ。

 絵を売り込むときは他人にまかせない。自分で画廊の扉を叩く。若い金髪の美女の訪問を断る画廊は少ない、と知っていて。

 厳選して、上流階級の人々の肖像画を描く。彼らの世界に入るために。そして夜毎、パーティーの華となる。

 こうして「上流階級のエリートのなかでも、もっともスマート(粋)で美しく、しかも才能ある画家、タマラ・ド・レンピッカ」を創り出したのだ。

 マドンナがタマラの大ファンと知ったときは、ああ、わかる、と妙に納得した。

 マドンナは彼女の作品をコレクションしていて、イベントや博物館に貸し出したこともあるし、「エクスプレス・ユアセルフ」、「オープン・ユア・ハート」のプロモーション・ビデオでタマラの作品を使っている。「ヴォーグ」のプロモーション・ビデオでは、冒頭にタマラの絵を強烈に印象的に使って、世界中にタマラの名を知らしめた。

 

 私が、タマラに感嘆しながらも、彼女の作品にそれほど感じないのは、なぜか。

 それは、「絵を描かずにはいられない」という、描くことそのものへの情熱が感じられないからだ。本人がすごく情熱的にそう思っていたら、ごめんなさい、だけど。

 私は絵を観ることが好きで、絵を観る時間を、そう、一枚の絵を通してそれを描いた画家との妄想交流タイムを愛しているから、勝手な希望をもってしまう。

 絵を描いた結果、富と名声を得る、ならこんないいことはない。でもその逆は嫌。

 タマラの絵は強烈だ。けれど、彼女の絵には、私の心の奥底の、とってもたいせつにしている扉を開ける才能はない。

-○女性芸術家, ブログ「言葉美術館」, 路子倶楽部