◎Tango アルゼンチンタンゴ ブログ「言葉美術館」 私のタンゴライフ

■久しぶりの映画記事と新刊の校正とタンゴと

2023/09/10

 

 りきちゃんが久しぶりに、

『ジュリエット・ビノシュ in ラヴァーズ・ダイアリー』

 をアップしてくれた。ずいぶん前に話したことだから懐かしく読んだ。この世界、この香り! ここから離れたくないんだなあ、って思いながら。

 今は、新刊「だから自分を変えたのですーーダイアナという生き方」の最終段階、ふたりのお友だちとデザイナーさんの力をもらって、完成度高く仕上げるべく集中している。

 サン=テグジュペリの言葉、「完璧に到達できるのは、それ以上加えるものがなくなったときではなく、削るものが何もなくなったときだ」をしっかりとだきしめながら。

 ええ、そこまで行けるとはとうてい思ってはいないけれど、近づきたいとは思うし、こういう気概がだいじなんだと思うから。

 あとがきで、ダイアナはどんなタンゴを踊ったのだろう、といったことを書いて、いまワイン飲みながらあれこれ考えていて、久しぶりにブログを書こうという気になった。

 私が男性だったら誰と踊りたいかな、と過去にふかくつきあった(本を書いたり、いろんなところで話した)女性たちのことを思い浮かべた。

 マリリン。そう、マリリン・モンロー。彼女とタンゴ、踊りたいなあ。想像できるもの。たとえ、彼女がタンゴを習ったことはなくても、なんともいえない感覚になれることが。

 アナイス・ニン。彼女は断言できる。極上のタンゴを踊るひとだ。アナイスはタンゴを踊らなかったけれど、もし、踊ったならと想像すると、肌がざわめく。

 サガンはどうだろう。サガンもユニークなタンゴを踊っただろう。けれど、マリリンやアナイスのような、踊った相手の肌を焦がすようなのとは違う。

 ジェーン・バーキンもカトリーヌ・ドヌーヴもそれぞれに味があるだろうけれど、やはりマリリン、アナイスとは違うな。

 マドンナとダイアナは同じ種類のタンゴを踊ったような気がする。とても上手なんだけど、私が好きなタイプのではないような。そう、あやうさがない。

 オードリー・ヘップバーン、シャネルあたりは想像が難しい。

 それで、私がこんなふうに思う基準ってなんだろう、と考える。

 とても単純で好みの問題。

 恋愛と一緒。たまらなく好きなのよ、という感覚。自分と似ている香り、自分と似ている温度、自分と似ている反応、そういうのがあるかないか、というだけ。

 タンゴワールドも難しい。50歳の夏に出逢ったから、もうすぐ6年目ということになるけれど、飽きたり嫌いになったりするのがこわくて、距離を推し測ってつきあっているかんじ。それでもこのところ、それもうまくいかなくなってきて。

 20代の後半から30代のはじめ、絵画のエッセイを書き始めたときにぶちあたった壁を想っている。ただ好きで始めたことが、ただ好き、だけではたちゆかなくなっているみたいな感覚。

 まあ、なるようにしかならない。できるだけ、嫌な想いをしないところに身を置くように心がけて、あとはしらない。

 7月1日が入稿。この日はダイアナの誕生日。それまではとにかく、サン=テクジュペリの言葉から離れないで、できるだけのことをしたい。

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