ブログ「言葉美術館」

◾️「まとまらない言葉を生きる」を読んで、まとまらない午後

 

 何がきっかけで、この本の存在を知ったのか思い出せない。考えるきっかけが欲しくて、本を探していて、Amazonのサイトで、おすすめとして出てきたのか、何かの本の関連本で出てきたのか、たぶんそんなところだろうと思う。

 中をぱらぱらっと見てから購入を決めたいな、と新宿紀伊國屋書店に出かけた。自分では見つけられなくて、書店員さんに探してもらうことにした。どこかに紛れていたようで10分くらい待ったあとに手渡されて、その待ち時間が何かを物語っているかのようで、中を見てから買おうと思って訪れた書店で、中を見ることなく購入した。

 読み始めて、ああ、これは向き合わなければならない本なんだな、とすぐにわかった。8割くらい読んだところで、お友達から花火の写真が届いた。ひとりきり、本を読むことだけで終わりそうな、そんな1日の夜に届いた花火の写真は、ものがなしくも美しかった。

 遠く離れたところで、誰かが花火を見て、それを私に送ってくれた、という事実が、びっちり孤独に埋もれていた私に、風の抜け穴みたいなものを作ってくれたようで。

 彼とのやりとりのなか、送ったメッセージ。

「いま、本気が伝わってくる本を読んでいて、自分がクズみたいに思えてならない」

 彼は自分がそんなふうになったときは、「執念深くゆっくり超えようとしている」のだと返してくれた。

 

 ずっと前、まだ本を出していないころに読んだ、有名な作家のエッセイのある部分を思い出した。いま、たぶん、あのひと、って作家名は出るのだけど、確信がないから名前は出さない。彼はそのエッセイで書いていた。すばらしい本を読むと、読者としては喜ばしいのだけど、物書きとしては落ちこんでしまう、そんなときは書店に出かけてくだらない本がたくさん並んでいるのを見て、書くエナジーを得る、みたいに。

 私はそのとき一冊も本を出していなかったけれど、なにかすごくよくわかる、って思ったし、本を出すようになってからも、よくわかる。

 荒井裕樹さんの「まとまらない言葉を生きる」は、真摯な香りあふれる一冊だった。彼は「障害者文化論」が専門で、本のなかに出てくる「言葉」は、ほとんどが、彼が人生のなかで出会った個人の言葉。有名ではない人たちの言葉。その言葉を発した人のこと、出会ったタイミング、そのときになぜ、どのように響いたのかが、語られている。

 あとがき 「まとまらない」を愛おしむ

 には次のようなことが書かれている。

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 ぼくの仕事には、どうしても「誰かの人生を言葉に換える」という作業が付いて回る。これが何年やっても慣れるということがなくて、毎回モヤモヤと悩まされる。具体的に何に悩まされるのかというと、「どれくらいその人のことを知ったら、その人の人生について書くことができるのか」という問いに悩まされるのだ。
 この場合の「書くことができる」というのは、「能力的に可能か否か」と「資格があるかないか」という要素が複雑に絡み合う。仮に、波瀾万丈な人生を送った人物について書くとして、その混沌とした生命の足跡を「ぼくの文章力でまとめられるか」という問題と、「このぼくがまとめていいのか」という問題に頭を抱えることになる。

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 あれ、どこかで誰かが言っていなかったっけ、似たようなこと。毎回、私が思うことと酷似している。

 ここまでは私とおんなじ、と思えたのだけど、この問題をさらに考えた荒井裕樹さんは、私とは違って、なるほど、と思えることを書いてくれている。ありがとう。

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 こうした言葉の問題は、ちょっと乱暴だけれど、「要約すること」と「一端を示すこと」に分けて考えられるかもしれない。
「要約する」というのは、大きな世界や複雑な物事の縮図を作ることだ。ここでは正確なミニチュアを作るための技術の巧拙が問われることになる。
 対して「一端を示す」というのは、大きすぎて表現しきれないものの一部を見せて、その表現しきれなさを想像してもらうことだ。(略)

 世の中には「一端を示す」ことでしか表現できないものがある。ぼくの中にもある。伝えて側の言葉の技術ではもうどうしようもなくなって、とにかく受け手側の感受性や想像力を信じて託すしかない。そんな祈りに近い言葉でしか表現できないことがある。

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 この本を読んで思ったことの一番は、自分も物書きのはしくれとして、という立場で思ったことの一番はなんだろう、といま自問する。

 主張したいこと、伝えたいこと、書かないではいられないことが、まずある。

 つぎに、それをどのように表現するかということ。あえて断定的な書き方をすることで、力をもつ文章というものがある。自分の気持ちそのままに、断定的な書き方をせずに、自分にえらそうなことは言えないけれど、それでもこんなふうに感じる、みたいな書き方もある。傲慢な香りゼロみたいな。

 けれど、本を書こう、出版しようと思った時点で、傲慢な香りゼロはありえない。

 ぐるぐると自問自答がとまらない。

 よく晴れた空が窓の外に広がっている。ここ数日、ぐるぐる考えて、あたまのなかが言葉で、文章ではちきれそう。気晴らしが必要ね。

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