◾️「彼女たちの20代」重版のお知らせと、いま思うこと。
2023/08/05
7月の終わりの嬉しいおしらせ。
「彼女たちの20代」の増刷が決まりました。
大きな書店でも、平積みで華やかに展開してくださっていて、書店さんや、娘や、友人たちからそんな風景の写真が届くたびに、自分の本のこととは思えないような不思議な感覚になるのは、いつになっても変わらず、慣れることはないようです。
うっかりのぞいてしまった匿名レビューに、なぜわざわざあのようなことを書くのだろう、書けるのだろう、と打ちひしがれたり、打ちひしがれた日の夜に届いた一通のメール、それは、それこそ20代の方からの本の感想だったのですが、そのメールにすくわれたり、お友達からの励ましに涙したり、そんな心の浮き沈みも変わらず、慣れることはないようです。
「おわりに」で、私は、あの20代の焦燥の日々だって意味はあったみたいなことを言い、次のように書きました。
「けれど、それはいまだから言えること。自分にはなんらかの能力があるようで、でも、ないかもしれなくて、それでも何かがしたくて、夢中になれるものがほしくて、でもそれがわからなくて、わからないから必死で、不安で、つらいのです。それが人生というものなのでしょう。そしてだからこそいとしいのでしょう。」
いま、愕然としながらも、しみじみ思います。
いまも、変わらず、わからなくなることがしばしばあり、必死で、不安で、つらいのだと。
50代の半ばを超えても、こんななのですが、20代のころと違うこともあって、それは、どこかで諦観があるということ。もっともっと酷い時期のことを思えば、それほどのことではない、と自分に言うことができること。それがよいことか悪いことかわからないけれど、とにかく生き続けているだけでよし、という感覚が、忘れられない記憶とともに、あるということ。
それだけなんだけど、それだけのことが、いまの私の命のおもりみたいになっていると思うのです。