◾️「人間とは何か」を読みたくなるような日々
7月初旬に次に書く本のテーマ、おおよその刊行時期も決まって、資料を読みこみ、執筆を始めた。
5月下旬に『彼女たちの20代』を脱稿して、ひと息ついて、そろそろ仕事しましょうよ、とわりとなめらかに取り掛かれていた仕事だった。お友だちふたりに資料集めの仕事を依頼して、そちらもハイスペースですすんでいた。
ところが、詳細は書けないのだけれど、ある事情で出版が延期になった。その瞬間、私はすとん、とおちてしまった。
ある事情そのものは問題ではなくて、ある事情によって出版が延期になったということに対して、私自身のなかに生じた自問自答、そのやりとりによって、いま、自分が立っているステージが違うということがほぼ明らかになってしまったからだ。
すとん、とおちると、完全に迷子になる。あれ、これまで私はどのように生きてきたんだっけ、これからどのように生きればいいんだっけ。
まったくわからない。自分という人間が消滅してしまったかのようになるから、人と会話もできない。
本を読んだ。マーク・トウェインの「人間とは何か」。1906年に匿名で発表されたトウェイン晩年の作品。
ーー人間とは何か。人間、それは単なる機械である。
最初から、これ。「機械」については、長くなるし疲れるから書きません。書きたいことは別にある。
若者と老人の対話という形で、トウェインの思想が語られるのだけど、読んで私は、心底、驚いた。この文豪と、私の考えが、ほぼ一致していたから。私がこれまで言ったり書いたりしてきたことを、とてもわかりやすく、説得力をもって、文豪が語ってくれていた。
恋愛とか善行とか責任ある行動とか慈愛とか、自尊心とか母性愛すらも含めて、それらすべての原動力について老人は言う。
「自分自身の精神を満足させたい、という衝動さーーどうしても自分自身の精神を満足させて、精神からその賛成を得なければならぬ、という気持ちだな」
若者は、自己犠牲とか愛とか、そういうものの美しさだってある、と主張して、美しい「自己犠牲」の例としてして次のような例を語る。
ある男が吹雪の夜道を駅に向かって歩いていた。すると、ぼろをまとった痛々しい姿の老婆が、ひもじくて死にそうだと言って救いを求めてきた。男は25セントしかもっていなかった。それをあげてしまえば、列車に乗れない。けれど男はためらうことなく、老婆に25セントを渡して、自分は吹雪のなかを歩いて帰った。
若者は、この男の自己犠牲と良心を賞賛し、老婆を見捨てて帰ったら、良心が痛んで眠ることもできなかっただろう、と言う。
それに対する老人の考えは、こんなかんじ。
その男は25セントで一晩の眠りを買ったのだ。
老婆を助けなければ自分の心が痛んで、一睡もできないから、自分の胸の痛みから解放してくれるものを買わなければならなかったのだ。それが25セントなら安いもんじゃないのかな。
「その男を動かして老婆を助けさせた衝動は、じつはーーまず第一にーー自分自身の精神を満足させること。二番目が、老婆の苦難を救ってやること、だったのさ。」
ほんとそうだよ。
私は「誰かのために」という考え方にいつも疑問をいだいていて、「あなたのためを思って」からぷんぷん臭う嘘については、黙っていられなくていくつかの本のなかで書いてきた。
老人の言葉で響いたものは、ほかにもたくさんある。たとえば。
「われわれ人間というものは他人の苦痛には完全に無関心なのだ、その人の苦痛がわれわれを不愉快にしないかぎりはね。」
なんか、ここまでくると、私ですら、いや、もっとごまかしの余白を残しておいてくださらないと、すべてが崩壊してしまいます、と言いたくなる。でもおそらくほんとうのことなのだ。
訳者は大久保博。「訳者あとがき」にはびっくりして、座っているのにしりもちをつきそうになった。すってんころりん。
ーー本来なら、ここに『人間とは何か』の解説を書くつもりでおりましたが、急に体調を崩し、入院精密検査の結果、担当医から「肺腺ガンが全身に転移していて、余命幾ばくもなし」との宣告をうけてしまいました。
従って、ここでは皆さんにお別れのご挨拶だけで失礼しなければなりません。ーー
こんな訳者あとがきは、はじめてじゃないかな。訳者の声を聞いたようで、愛しさがつきあげてきてしまった。
「人間とは何か」の読後はカタルシス。
人間とは何か。人間、それは単なる機械である。…だからいいの、外部からの力が加わらないと私は動けない…
そんなことをぶつぶつ言っている私をスルーして軽やかに出かける娘を玄関で見送る。彼女がドアをあけた瞬間、湿った暑気がもわんとすべりこんでくる。ドアに鍵をかけて、暑気と外部世界を遮断する。
自室の窓から街を眺めると、通りの向こうのマンションのベランダの手すりにとまったカラスが斜め上方に向かって熱心に何かを叫んでいた。誰かを呼んでいるのだろうか。あまりにもその姿が必死なかんじがして、私はカラスに共鳴した。