◆秘密の傷
2016/06/21
ジャン・ジュネによる「アルベルト・ジャコメッティのアトリエ」は、なんども立ち止まらせる文章で、頭がやわらかく、かつクリアなとき(あまりないのが残念)にしか受けつけないのが困りもの。
久しぶりに読み返して、なつかしい感動が胸をついた。
「美には傷以外の起源はない」
この言葉に、ぶるぶるっとふるえるほどに感動したのは、かれこれ20年くらい前。いろんなところで使ってきているような気がする。あらためて、この言葉の周辺を見つめてみた。
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美には傷以外の起源はない。
どんな人生もおのれのうちに保持している傷、独異な、人によって異なる、隠れた、あるいは眼に見える傷、その人が世界を離れたくなったとき、短い、だが深い孤独にふけるためそこへと退却するあの傷以外には。
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だから、とジュネは続けて言う。
ジャコメッティの彫刻作品はよく言われるように「悲惨主義」なんかではない。
彼の芸術は、「どんな人にも、どんな物にさえあるこの秘密の傷を発見しようとしている」のだと。「その傷が、それらの人や物を、光輝かせるように」。
ああ。……秘密の傷。
私にとって、ある人に興味をもち、その人の人生を知りたいと思うことは、その人がもつ、秘密の傷を知りたいということだ。
身近な人はもちろん、会ったこともない「生き方」シリーズでふれた人たち、シャネル、サガン、マリリン、オードリー、ジャクリーン、彼女たちについて書くかどうか、その鍵は、彼女たちの秘密の傷を、私なりに見出せるかどうか、そこにある。
注意しないといけないことがあって、秘密の傷は、秘密じゃないとだめなのがポイント。
見て見て私の傷! となぜか見せびらかす人がいて、たとえば私自身が、ときどきそうなるから自分でも嫌なのだけれど、見て見て、と見せる傷は、あたりまえだけど、秘密でもなんでもない。
秘密の傷というのは、本人でさえ、ちゃんと自覚していないような、傷口からだらだらと血が流れているのに気づかないでいるような、だからときおり致命的になってしまうような、そういう傷のことを言う。
あなたの、秘密の傷はどこに、どのように、ありますか。