◆ミューズサロン
2019/03/27
2015年4月25日土曜日は、私にとってちょっとした記念日となりそう。
「山口路子のミューズサロン」開催の第1回目だった。
山口路子のミューズサロン。略して路子サロン。
むかしむかしのヨーロッパで花開いたサロン文化。サロンの主人が文化人や芸術家などを招いて、刺激的なひとときを過ごし、そこから多くの芸術も生まれた。私はこのサロンなるものを、明確な目的をもたないゆえに、一見無駄のようにも見える、いや、暇人の集まりのようにも見える、けれど、だからこそ贅沢な社交の場なのだと思っている。
そしてミューズ。これは私の原点で、芸術家にインスピレーションを与え、傑作を生み出す原動力となった女性のことを芸術の世界ではミューズ(美神)と呼び、私はこれに夢中になって、25年がすぎた。
ミューズは芸術の世界の話だけではない。世界中のあらゆるところで、いまこの瞬間も、誰かが誰かにインスピレーションを与え、与えられている。そして人生を艶やかにしている。生まれてきた意味を知ったりしている。
そう思う。
私の部屋(サロン)は大邸宅などではもちろんなく、10人でみっちりいっぱいになるような、ほんとうにプチっとした空間ではあるけれど、それでもミューズの艶やかな瞳に見守られているような、知的で官能的な刺激溢れる時間を過ごしたい。レクチャー形式ではなく、テーマはあるけれど、そこでの会話を楽しむという、そういう場にしたい。
そして第1回目は「私にとってのミューズ」で、久しぶりに私は自分自身のミューズヒストリーと向き合った。ようやく公の場で、こんな話ができるようになったのだと、時の流れに感謝する。
さいきん私と連絡をとってくださっている方にだけしかご案内できなくて、でもすぐに定員いっぱいになって、いらしてくださった方々と楽しいひとときを過ごすことができた。
私から参加者のみなさまへ。という一方通行ではないところが私は心地よい。その証拠に、最後、話がつきなくて、遅くまで残った方々に、私は「孤独の嵐」の告白をしていた。毎晩なんです。このところ毎晩、孤独の嵐におそわれて、眠るのがこわいんです。もういやっ……
そして孤独についてまた話をしたりした。
このような場が与えられためぐり合わせに感謝する。
第1回目のサロン開催1時間前にノートに記した。
「すみやかに許し くちづけはゆっくりと ――2015.4.25Michiko Salon開催の日に」。
先日書いたマーク・トウェインの言葉、すでに自分のものとしている。
この言葉にあらゆる意志を塗りこめて、また今までとは違ったシーズンを生きてみようと思う。
私は、自分のなかにあるはずの美に対する愛に対するあらゆる刺激に対する感性。それを言葉にして発するという、そして誰かが発した言葉に反応して自分でも驚くような言葉がまた生まれるという、そういう場に飢えて飢えて飢えて餓死しそうだったのかもしれない。だから自らそういう場を創らなければならなかったのかもしれない。
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