◆人生はサークルゲーム
2016/06/21
私が大切にしているこのブログについて、あるひとからメールをいただいた。
そのメールには、さかのぼって記事を読んでいたら泣けてきたと、そして私がブログを削除してみたり再構築してみたりしている様子に、ジョニ・ミッチェルの「サークルゲーム」を重ねた、とあった。
私は泣く子も黙る洋楽オンチ、ぴんとこなくて、でもとても気になってその夜、眠る前に「サークルゲーム」を聴いた。それから日本語の訳を読んだ。
ジョニ・ミッチェルのビロードみたいな高貴さと慈しみのある声、そして深い歌詞に私こそ泣けてきた。
……私たちは回転木馬に乗っていて、降りられなくて、バックもできなくて、もしも後ろが気になっても振り返ることしかできなくて、何度も何度もぐるぐると季節はめぐってきて、人生ってサークルゲーム……
そんな内容だった。
私は回転木馬に乗っている自分を思い浮かべた。
ぐるぐるぐるぐると季節はめぐり、私は上がったり下がったりする子馬にしがみついて、ああ、戻りたいと思ったとしてもバックができないから、何度も何度も首が痛くなるくらいに後ろを振り返って、私がそんなふうにしていても、容赦なく確実に規則的にぐるぐると季節はめぐる。
なんという悲哀がそこにあるのだろう、と思う。
それでも、唯一の救いといえば、やはり、目に映る景色は変化する、ということ。
前の季節にはいなかった人の姿が見えたり、その逆があったり、前の季節には咲いていなかった花が咲いていたり、その逆があったり、変化があるということ。
だから今度はどんなふうに変化するだろう、どんな景色が見えるだろうと、変化を楽しみながら私は、そう、人生がサークルゲームなのだとしたら私は、そんなふうに生きたいと思った。