◆翻訳者の文学
2016/06/21
自分ではない誰かが、何かの賞を受賞して、心から自分のことのように喜んでいる人ってどのくらいいるのだろう。
自分のことのように喜べるって、すごいことだ。
私だってそこまで意地悪くはないから、知り合いにそのようなことがあれば「よかったね」くらいは思える。
でも、「自分のことのように」とか「心の底から」とかいった言葉にはどうも嘘の臭いを感じないではいられない。
尊敬する翻訳者の田栗美奈子さんのご本『孤児列車』が「フラウ文芸大賞」で準大賞を受賞した。
その報せを受けたとき、私は心から「わあ、よかった」と思った。
「自分のことのように」と言えるかと問われれば、いえ、やはり自分のときのほうが喜びは大きいでしょう、となる。
それでも、なにか胸があたたかくなるようなこの喜びは私にとっては珍しい事件だったので、ご縁があって、お祝の言葉を求められたときにも、即答して翌日の午前中に書きあげた。
その原稿がサイトに掲載され、受賞者の田栗美奈子さんから御礼のメールをいただいた。そこには翻訳者は黒子、受賞したのは作品であり、原作の力が大きいので喜びもほどほどでした、という内容のことがあった。
とんでもない。
私は中田耕治先生の本と出逢って、先生が訳された本を読んで、「翻訳者の文学」があるということを体感したのだった。
その人でしか無理な、指紋みたいなもの。それが田栗美奈子さんの作品にもある。
というわけで、私のほとんどラブレターみたいな、お祝の言葉、お読みくださると嬉しいです。
「中田耕治ドットコム」のなかにあります。こちらです。
田栗美奈子さんが登場する記事「ルイ・ジュヴェと中田耕治と芸術活動」
この本もすてきでした。『名もなき人たちのテーブル』の記事はこちら。