ブログ「言葉美術館」

◆澤地久枝ショック◆

2016/06/21

Img_1783先日、録画しておいた澤地久枝さんのインタビュー番組を観た。

NHKの「100年インタビュー」。

2月に放送されたものの再放送が8月15日の終戦記念日の朝に放映されたのだった。

1930年生まれ。ノンフィクション作家。

私はこの作家の『画家の妻たち』を長い間大切にしていて、彼女が反戦の活動をしていることを知っていて、彼女のことをもっと知りたくて観た番組だった。

戦争を経験した人ならではの言葉の数々はもちろん、ノンフィクション作家としての作品にかける想い、行動に私は圧倒された。

滄海(うみ)よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死』では日本とアメリカの戦死者3000人以上の一人一人のデータを集め、日本国内からアメリカまで取材したという。

借金をしてまで、それをしたという。心臓病を抱えながらしたという。

そういう姿に私はうちのめされた。

なにか、もう私とでは「生きる」ということへの意味からして違う。ぜんぜん同じ人間とは思えない……。そんなふうに思って、ただただ涙が出てきた。

ものすごい作品、ものすごい人に出逢うと私はいつもこうなる。つまり、うちのめされる。本を書くということについては、書けなくなる。

逆にくだらないと思えるものに出逢ったときなどは、不調から脱出できる可能性が高い。

書けないから読むことにした。

書棚から『昭和史のおんな』を出して読み、徹底的にうちのめされた。一度読んでいるのに、こんなになったのは、きっとインタビュー番組を観たあとだから。

いろんなことが胸に刺さった。内容よりもむしろ行間に作家の姿が見えて、その姿に。

この文庫本の解説は大島渚だった。

彼は『滄海(うみ)よ眠れ―ミッドウェー海戦の生と死』のために取材中の澤地久枝さんとニューヨークで会ったときのことを書いていた。

澤地久枝さん、このときの年齢はたぶんいまの私と同じくらいだと思う。

大島渚は彼女とニューヨークの街をちょっと一緒に歩いて、彼女がかなり弱っていることに気づいた。彼女はこんな状態で、病める心臓を抱えて、アメリカ側戦死者の遺族の取材のため、20日間でアメリカ全土19の町を訪ねる予定なのだ。

それを考えて大島渚はこう書く。

私はほんとうは一人自室へひきあげて思う存分泣きたかった
それは肉体的な苦痛を思ってではない。その肉体をかかえての取材が心に与えるであろう苦痛を思ってである」

なぜなら、アメリカの遺族は敵国の作家に対して好意をもって出迎えるはずがないからだ。

ほんとうは一人自室へひきあげて思う存分泣きたかった。

私はこの大島渚に共鳴した。

「それはそこまでする価値があるものだ」と知るものが、それでも問わずにはいられない、「そこまでしてなぜあなたはそれをするのか」という問い。そして「それでもあなたはそれをするのですね」という、そのひとに対する強い愛情と尊敬といたわり、そして希望。

そういうものがそこにあるように感じて、それは私の「うちのめされる」という感覚と近いのではないかと思ったからだ。

数日が経っていま、これを書いている。

うちのめされて伏していたってしかたないから起き上がる。

私なりに力をつくして「そこまでする価値があるもの」と信じるものに向かうしかない。

澤地久枝さん、どんなに残虐な光景を見てきても、それでも、人間に対する「希望」は持ち続けている、とおっしゃっていた。

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