◆中田耕治先生のアナイス・ニン
2017/02/08
中田耕治先生の講座に千葉まで出かけた。4か月ぶり。
テーマが「アナイス・ニン」だというのだから、どんなことがあっても行きたい、と一週間くらい前からずっと緊張していた。
読み返した本は「エロス幻論」。「中田耕治コレクション4」として刊行されたこの本には、ロレンス、アナイス・ニン、ヘンリー・ミラーという私が強い関心をもつ3人について先生が書かれたものが集められていて、刊行は1994年。私が28歳のとき。
私のアナイス熱はたしかにこの本がきっかけだった。
だから、とてもとても大切な本。
外の晴れた空が教室の半分くらいに入ってきているような空間で、先生は最初におっしゃった。
「アナイス・ニンを最終的に論じます」
私はその瞬間、ほとんど泣きそうだった。ああ、この感覚。「それ」について考えることに一ミリも疑問を抱かないで集中できる感覚。
こういうのがないと、真の意味では私は生きていけない。どんなに、この感覚を渇望していたか、私はそのことを強く知って、貴重な瞬間にいま自分がいることを強く感じていた。
90分、夢中だった。
ヴィクトリア朝のイギリス、女性がもっとも熱心に読んだのはポーノグラフィ……ラファエル前派の画家たちが描いた衝撃的なものとは……ピアズリー、オキーフまで……
私は夢中でノートに先生の言葉を書いた。
ずっとずっと、中田耕治先生の講義で、私はノートをとることを禁止していた、自分に。軽井沢から通った文学講座でもノートをとったことはなかった。
講義中は、先生の生きた言葉を全身で受け取ることに集中する、そのことに意義があると信じていたからだ。
けれど、今回は記録しておきたかった。先生の「アナイス・ニンを最終的に論じます」がそうさせたのかもしれない。
先生が語るアナイスはやはり魅力的だった。私もアナイスのようにあらゆることに挑みたい、というあのシーズンの気持ちを取り戻したい。
そしてなにより、書くことを諦めない。諦めるというのは、書かないということではなく、諦めながら作品を書かないということだ。どんな表現形式のなかでも自分でしか表現できないことを表現する。
その夜は頭が冴えてしまって眠りがこなかった。頭の芯が冴え冴えとしていて、私は少しだけ自分の可能性を、ほんの少しだけど、久しぶりに感じることができた。
今、このことは書き残しておきたい、とこの文章を書きながら、「師」と心から嘘偽りなく思える人に、人生で出逢えたことの幸運を、あらためてかみしめている。
シンプルな言葉が、胸に残っている。
「よく見てると、いろんなことがわかります」
私は「よく見る」ということを、していなかったように思う。ここのところずっと。だからいろんなことがわからなかったんだということに、先生の言葉で気づいた。