◆お誕生日会
2016/06/21
その日は、朝から忙しくしていて、というか精神的に締め切りに追われている日々が続いている流れで、今日こそはある程度の形にしなければ、という日だったところに、「会いたいなあ」と思っていたお友達から突然の連絡があり、とっても会いたかったから、がんばって仕事をすすめて、夕刻会って、そうしたら、あっという間に約束の時間になっていた。
支度をして電車に乗り、空いている席に座ってようやく、30分後の会について想いをめぐらせた。
お友達が企画してくれた私の誕生日の会。
これは、私が以前より、50歳だから、半世紀だから、何かお祝いの会でも自分で企画しようと思う……と騒いでいて、でも、いろんな要因があって、やっぱりやめよう、なんてなって、そういったところに、生まれたお話。
騒いじゃって申し訳なかったなー、という想いもあるし、なにしろすこし恥ずかしいというか照れが。
それでも、お友達が集まる誕生日会なんていつぶりだろう・・・・・・、と過去を旅してみれば、おそらく、私の記憶に間違いがなければ、小学校4年生以来。
大人になってからは、こういう性質だから、3名以上のお友達が集まって私の誕生日を祝う、なんて会に縁がなかった。
娘の誕生日会は軽井沢のあの家で、何度も開催したけれど。
なにか、とても不思議な感覚だった。
これって、どんなふうに表現したらよいのだろう。
ぜったい無理だと思っていた大きな賞を受賞して、現実味がない、みたいな。
ちょっと違うかな。
でも、ほんと、不思議な感覚。
それで、この不思議な感覚は、会場であるレストランに到着して、お料理をいただき、それから10数人の参加者の方々からのメッセージがいっぱいのアルバムと、卒倒しそうなくらいに好みの薔薇の花束をいただいて、家に帰ってきて、それから……、いまもまだ続いている。
私はいつも不義理ばかりで自己中心的な人生を生きているというのに、みんな、なんて心優しい人たちなのだろう。
それぞれに、めちゃくちゃ多忙ななか、時間と、それから高額のお金を使ってくださって、私はみんなの優しさに値しないのに、こんなに幸せな想いをしていていいのだろうか!
いいはずがない!
こんなに幸せな気分でいると怖い。なにか嫌なことが起こるかも(毎度ネガティブ)。
そんなことがぐるぐるまわるほどに、そう、私はとても幸せでした。
写真はいただいた薔薇の花束。
見たことがない品種の、写真ではこの美しすぎる色と質感がぜんぜん出ていないけれど、もう、なんというか凄みのある美しさ、とでも言いましょうか、ほんとにすごいの。好きなの。枯れてしまうのが、いまから悲しいくらい。
……次、60まで生きられたら、また騒ぐのかな、私。
それにしても、あのレストランでの、みなさんの、あたたかな空気感。
私は目に見えない、あたたかな何かに、それは目には見えないけれど、ときどき強く体感する、確かなあたたかさに支えられて人生を歩んでいる。
そんなふうに感じられたことが、何よりのプレゼントであり、心からのありがとうを言いたいです。
ありがとうございました。