◆私のアナイス ブログ「言葉美術館」

◆中田耕治先生の命の言葉

2017/02/08

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先生、先生は、数えきれないほどにたくさんの本をお出しになっていますけれども、そのなかに、「いまひとつのデキだな」と思いつつ出版したものはおありですか?

依頼された仕事をこなすなかで、自分の方向性を見失ってしまっているかもと恐怖にかられたときはどうしたらよいのでしょうか?

 

先生、忙しすぎて、じっくり考える時間がないんです。生きている実感がないように思うんです。そして、書くべき作品を書けないまま、このまま終わるのではないかと思うときが増えてきました。苦しいです。

 

その日、私はそんな相談をしてしまった。
ほとんど涙目で。先生は、もちろん、的確な、そして限りなく優しい言葉をくださった。

 

私が最高度に尊敬し、お慕いする中田耕治先生。
2016年6月13日は、中田先生にアナイス・ニンについてのインタビューをする、という私の人生の記念日だった。

 

アナイス・ニンのドキュメンタリーDVDを日本で発売できることになり、そのDVDにぜひ、「中田耕治先生のアナイス・ニン」を入れたかった。

 

目の前に中田先生、隣には一流の翻訳家の田栗美奈子さん。一時間ほどの収録時間。
私、まなざしが私から離れて先生に吸収されてしまうのではないかと思った。耳も同じ。
こんなに集中したことって、今までにあったかな。
だって、それほどまでに、先生のひとことひとことが、あまりにも重みがあって胸をうつ。

 

私が大好きなアナイスの本を、はじめて翻訳し、私が生まれた年1966年に来日したアナイスに会い、そしてその後も手紙のやりとりで交流を保っていた、中田先生。

 

昨日、インタビューを編集した画像が届いた。
夜中に観て、涙が止まらなかった。
先生、先生はどうして、いつも、今現在の私に必要な言葉を、強烈にくださるのですか。

 

もっとも胸に響いた部分を要約。

 

女の作家は、けっして女性を代表するわけではないのです。
世間では優れた女流作家は女性を代表すると考えるわけだけれど、わたくしに言わせれば、誤りです。
むしろ一般の女性からはかけ離れた特異な存在です。
特異な存在だからこそ、自分自身が作家でありえたのだし、創造性を持ちえたというふうに、僕は考える。
ですから、世間が女らしさとか女性らしさと認めるものを、優れた女流作家になればなるほど、自ら拒否して、別の存在にまで自分を高めようとする、そういう動き、働きが見られるだろうと思います。
アナイスが、その典型です。

 

女性一般を代表なんかしない、特異な存在なんだ。
世間が求めるものを自ら拒否して、自らの存在を高めなければ。

 

それから、先生はアナイスの作品のなかで「ヘンリー&ジューン」が一番好きだと、「あの一冊だけでアナイスは20世紀を代表する作家と考えていい」とおっしゃった。

 

そうか、たった一冊でいいのだ。
たった一冊、……しかしこれがいかに難しく困難なことか。
けれど、日々の仕事を真面目にこなしながら、その「たった一冊」を書き始めること、私の作家としての命はそこにある。
先生が私におっしゃった言葉を書き留めよう。

 

「忙しいなかでもね、自分が書きたい作品を一日に1ページだけでいいから、書きなさい。
そうすれば、1年経てば365ページになる。そういうことです」

 

こういう写真はあまり掲載しないけれど、今回は特別。中田耕治先生と。
机の上に並べられているのは、アナイス・ニンから中田先生に送られたエアメール。
アナイスの文字はやはりアナイスのように繊細で美しかった。

 

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