◆「女の書く自伝」の正しい部分
ほかに読まなければならない本が山積しているというのに、本棚のすみにあったこの本が目にとまり、手にとって、一気に再読。以前読んだときには、賛同できず、むしろ反発したり、わかるようなんだけどピンとこなかったり、そんな箇所が、いま読むと、ずいぶん違う捉え方をしていることに、容易に気づき、これは成長なのか、汚れたのか、そこは容易にはわからない。
『女の書く自伝』キャロライン・ハイルブラン。読みかけの本を見た娘が「まさか自伝を書くの?」とたずねたから「まさか」と答える。たくさんのうとましい事柄を思い浮かべながら、まさか、と胸でもう一度つぶやく。暗い。
この本は、何年か前に中田耕治先生にいただいた本。きっとそこには深い意味があるに違いなく、今回このタイミングで再読したことにも意味があるに違いない。
「女性の作家」と「結婚」ということについて、多くが語られていて、私もその部分に多くラインを引いている。
「要するに、結婚とは家を買うとか職業生活に入るとかということと同じように、取り引きである。
人は、まさにその決断によって他の可能性を放棄していることを知りながら、結婚を選択する。
ピアトリス・ウェッブやヴァージニア・ウルフのような女性たちは、情熱よりもよい友人関係のほうを選ぶという取り引きをしたのだった。
彼女たちの結婚が成功したのは、彼女たちが自分のした取り引きを後悔しなかったから、または他のものではないから―ーたとえば、粋な恋人ではないからーーと言って夫を責めなかったからだ。」
私はこれをちゃんと読んでラインまで引いていたのにね。
いま、切望しているのは、オードリー・ヘップバーンにとってのロバートみたいな存在。このふたりは結婚していないけれど、結婚以上の関係だった。