ブログ「言葉美術館」

◆澤地久枝ショック再び、そして明日は「秦早穂子という生き方」

20160816

8月15日、終戦の日、どうも憂鬱がはれなくて、すべきことがてんこもりだというのに、家にいたら、どこまで落ちるかこわかったから出かけた。街をうろうろしながら、思いつくままのことをして、それでも憂鬱は、うっとおしくまとわりついて、どうにもならなかった。今日も引きずっている。

そんななか、澤地久枝のインタビュー記事を、偶然に見つけた。一年前のなんだけど、私、なにか、最後まで、伝えるということを諦めない作家の姿勢に泣けてきた。

この記事のラストだけ紹介。

「いま、私の心にあるのは、あのような時代をもう一度作り出してはならない、という願いです。だからこそ、残りの人生をかけて、自分の体験をつづらなければ、語っていかなければ、と思っています。遅すぎるかもしれない。しかし、まだ間に合うはずだと信じています」

そう、そうなの。最後の最後まで、諦めちゃだめなんだよ。諦めたら、そこで終わりだから。何も産み出さないから。

澤地久枝のインタビュー記事。ぜひ。ごらんください。

そして、
私が「澤地久枝ショック」の記事を書いたのは、もう一年前。

私なりにちからをつくして、「そこまでする価値があるもの」と信じるものに向かうしかない。

そう書いたけれど、あれからどうなの、一年間、ちからをつくしているの、向かっているの。
自問すれば、情けなくて泣けてくる。昨日、都会の街で、そうなってしまったように、涙があふれる。涙は久しぶりのように思う。さいきん、私の日常に涙は少ない。安堵の涙も含めて。……女の涙がかわいいのは20歳までって誰が言ったんだっけ。20歳じゃなかったかな、25歳だったかな。50になってもこんな状態だなんて、25歳のころには想像もできなかった。もう少しなんとかなるものだと楽観していた。
でも、たぶん、この状況は何かを産み出す前の憂鬱、感情の波。そう信じるしかない。

そして憂鬱にひたっている場合ではなくて、明日は芳野まいさん、そして秦早穂子さんとのトークイベント。

秦早穂子、85歳。彼女もまた、諦めずに、伝えるべきことを伝え続けているひとだ。なんとしても、それこそ、ちからをつくして、秦早穂子の魅力を引き出したいし、私は、そうしなければならない。

写真は、明日のための資料がポーズをとっているところ。ぼってり、ふてぶてしい唇のマグカップはバルセロナ、ダリ美術館のお土産、お友だちの彩ちゃんから。肩に力を入れたっていいものはできない、このカップを手にすると、少し力が抜けるようで、お気に入り。

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