■安吾■「自分だけのもの」
2017/06/12
「ほんとうに人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰の当たった奴でなければ書けないものだ。(略)
生きている奴は何をしでかすかわからない、何も分からず、何も見えない、手探りでうろつき廻り、悲願をこめギリギリのところを這いまわっている罰当りには、物の必然などはいっこうに見えないけれども、自分だけのものが見える。
自分だけのものが見えるから、それがまた万人のものとなる。芸術とはそういうものだ」
久しぶりに坂口安吾。これは「教祖の文学」から。
なにか心を撫でられた感じがするな。
私が経験しているいろんなことは、自分だけのものを見るためにあるのかもしれない。
だとしたら、そういう自分を、人生を、ひきうけなければ。
安吾のこのエッセイには宮沢賢治の「眼にて言ふ」という遺稿が紹介されている。胸うたれる詩だ。
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だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いているですからな
ゆふべからねむらず
血もでつづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうで
けれどもなんといい風邪でせう
もう清明が近いので
もみぢの若芽と毛のやうな花に
秋草のやうな波を立て
あんなに青空から
もりあがって湧くやうに
きれいな風がくるですな
あなたは医学会のお帰りか何かは判りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていただければ
これで死んでもまづは文句もありません
血がでているにかかはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
ただどうも血のために
それを言へないのがひどいです
あなたの方から見たら
ずいぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青空と
すきとほった風ばかりです
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死に際して、血を吐きながらきれいな青空と透き通った風を見る賢治。そしてそれに感動する安吾。
私はふたりのそれぞれの心の動きを想像する。
するとたまらなく愛しくなる。
人間に対する希望がすこし感じられる瞬間。