■「言葉の箱」が痛いとき■
2016/06/09
「小説家なり芸術家なりが、枯渇して書けなくなるということは、基本的な生命がなくなるということです。
精神的な生命、命の火、生命のシンボルがなくなるということは、自分が日常の世界のなかに、裏返されたボールみたいに、全部ひっくり返されてはりついてしまうということです」
小説家、辻邦生の『言葉の箱』について、妻の佐保子さんの「あとがき」によると。
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・・・・・・ようやく辿りつくことのできた「小説とは何か」という問いに対する最終的な回答だったような気がする。(略)読むという快楽が永久に不滅であるという長年の信念を、熱心な聴衆である「書き手」の方たちに伝達し、自分が担い続けてきた使命や文学の未来を次の世代に委託したかったのだと思う。
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小説家志望の人たちを前に話したことをまとめた本なので、とても読みやすい。
この本については『うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ』のなかでも大切な本として取り上げている。
テーマは「生命のシンボル」で、15年くらい前に私は、この本にたしかに、すくわれたのだった。
小説家をめざしていなくても、「生きる」ということが、優しく力強い視線で語られている、ゆたかな知性に支えられた辻邦生の、人間的な魅力があふれている、そういう本だ。
何年かぶりに読み返してみて、あらためて感じ入った。
新刊が出て、それを送りつけることをとても図々しいことだと思っている私は、友人知人にはほとんど送らない。それでも、5人の人たちには、送ることにしている。文学の世界にいらっしゃる方々で、私よりずっと年上で、さまざまな示唆を与えてくださるから。
そのほとんどの人たちが、そのたびにおっしゃる。「早く次の小説を書きなさい」と。そのたびに私の胸は痛む。なぜかは自分が一番よく知っている。