ブログ「言葉美術館」

■中田耕治■「ルイ・ジュヴェとその時代」

2017/05/26

2000枚を越す大著だから、たとえば『ココ・シャネルという生き方』のざっと10冊分。2週間かけて一冊の本を読み続けたのは初めてだ。

いまは自分の仕事もけっこう忙しいから昼間読むことを厳禁、夜だけにしたから日にちがかかったのだが、私がこういう読み方をすることはあまりないから家族の関心を引いたようだ。

もちろん分厚い本を読むことだってあるけれど、それは資料のためだったりするから、欲しいところだけを拾って読む。だからどんなにかかっても数日の命。

まだ半分? お、ようやく終わりそうだな。

そんな声をかけられた。

そして昨夜終わってしまった。

一九五一年八月十六日午後八時十五分、ジュヴェは死んだ。享年六十三歳

ここで私はこみあげてきてしまった。ルイ・ジュヴェという人の生きる姿勢、芝居にかける情熱、女性をふくめて周囲の人たちへそそぐまなざし。

それとじっくりと寄り添ってきたから、読みはじめたころはぜんぜん知らない人だったのに、いつの間にか、こんなに身近になって、60年も遅れて、ジュヴェの死を悼んだ。

「ジュヴェの墓はモンマルトル墓地、薄幸の『椿姫』アルフォンシーヌ・プレッシイの、今は荒れ果てて見るかげもない墓のすぐ裏側にある。ジュヴェは夫人のエルズ、ふたりの間に生まれたジャン・ポール夫妻とともに眠っている」

いつか行って、ジュヴェが好きそうな花を選んで供えたいと思った。

なんて、ちょっと真面目に感動してもいるのだが、読んでいる途中どうしてもジュヴェが観たくなって『女だけの都』を購入してしまった。そしてジュヴェの色気にふらふらに……。

Images唐突だけど、ジェラール・フィリップとはぜんぜん違った色気がある。ふたりが私の前に立ったらどっちを選べばいいの。と妄想が。

もっとジュヴェを観たくて続けて『北ホテル』購入。これは今の仕事がひと段落したら観るつもり。それまで我慢。

それにしても中田耕治の、ルイ・ジュヴェへの想いには胸を強く打たれた。そしてあらゆるところで見られる、するどい視線に何度も立ち止まった。ページが何箇所も折られ、たくさんラインが引かれている。

たとえば、ジュヴェの恋人であった女優マドレーヌの恋に対しての視線。

相手こそ変わったが、その恋は本質には変わってはいない。

 

いつも、演劇、映画でめぐりあった才能のある男性に接近して、自分でも気がついたときには恋をしていた。

どの恋にしてもおなじくらいの真実で、長続きがするはずだった。しかし、マドレーヌの恋は続かない。
彼女にとっての恋とは自分よりすぐれた相手に自分を結びつけようとする願いに過ぎない。それが首尾よく男と女の性という磁場で果たされたとき、消えるのが当然といったものだった。

ただ、いつもその願いがひとすじに相手に向けられるだけに、自分でも純粋な恋をしていると思い込む」

どうだろう。私は純粋な恋をしていると思い込めるのかな。

ようやくちょっと言葉が自分のなかに戻ってきてほっとしている。軽井沢はハイシーズンを迎えているようで、外出をほとんどしないから私は家族の送迎時、駅方面しか知らないけれど、かなり混雑している。

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