ブログ「言葉美術館」

◆貴女への、いまの私のせいいっぱいの言葉

Nさんへ

 Nさんだなんて、とても素敵なお名前なのに、でもきっと差しさわりがあるだろうから、Nさんにします。

 先日は、メールをいただきありがとうございました。私のような無名の作家でもときおり、読者の方からメールをいただくことがあり、ほんとうに嬉しく、書き続けていてよかったと、そのたびに感激しているのですが、Nさんからのメールはそのタイミング、内容ともに、私を強くすくってくださいました。大好きな作家のメイ・サートンの言葉を思い出しました。

「私の仕事を発見してくれるであろうどこかにいる誰かの孤独と私の孤独とのあいだには真のコミュニオンがある」

 Nさんが私のことを知ってくださったのは5年前。

「初めまして。私は山口路子さんの"サガンという生き方"を5年前に読み、本というものに生まれて初めて目覚めました。
路子さんの執筆した本を全て読み、サガンの本を全て読み、感動し、とても刺激を受け、人生が好きになりました。人生が美しく、魅惑的で、芸術であることを、知りました。(略)山口路子さんの本がなかったら、私は本の良さに気づくこともなく、人生を重層的に見ることできず、もっと別の視点で生きていたのかもしれません。本当に言葉では言い表せないほど、私は路子さんに感謝しています。」

 私は、ほんとうに、泣きました。

 きっかけが、サガンというのも嬉しかったし、なにより、自分がしていることが、かくじつに、どこかで孤独に生きている人に伝わっている、って少なくとも一人、ここに、私の言葉を受けとめてくれているひとがいる、って体感することができたからです。

 そしてNさんは、私に大きなテーマをくださいましたね。

 好きな人と結婚をして出産もなさって素敵な家に住んで、いわゆる「恵まれた生活」をしているのに、こころが幸せではないのだと。Nさんは20代半ば。私が25歳のころはどんなだったのか、何に悩んでいたのか、そんなことを知りたいと。

 25歳のころ、「私は自分がすべきことは何なのか」をテーマに生きていました。悩んでいたとかそういうことではなく、とにかく知りたかった。自分がどの道に進むべきなのか。そのあたりのことは、すべてではないけれど「うっかり人生がすぎてしまいそうなあなたへ」に書いてあるかな。

 でもね、問題は、20代の半ばの悩みではないようにも思います。

 いまの悩み、「こころが幸せではないこと」への疑問、違和感は、これからもずっと人生にまとわりついてゆくかもしれないからです。……って、救いがないかな。でも真実だと思います。

 いろんな人がいます。「こころが幸せではない」なんて言葉自体と無縁で生きてゆけるひとも、世の中にはいるのかもしれません。そんなことばかり考えて苦しいよ苦しいよ、って言い続けているひともいるかもしれません。私みたいに。

 もう、これはそのひとの性質、性格なのだと思います。

「特に深刻な……」という長いタイトルの逃避の名言集の最後にも書いたけれど、フランクルも言っています。

「なにはともあれ苦悩は人生そのもののうちに含まれているのです。ですから、まさに苦悩しないことが病気である場合もあります」

 また、こんなふうにも。

「生きるということは、ある意味で義務であり、たった一つの重大な責務なのです」

 さいきん、私は「こころが幸せでない」状態を「常態」とし、「こころが幸せである」状態は人生からのプレゼント、そんなふうにとらえています。どうしようもないの。もう、この性質は変わらないみたい。ここ最近のブログを読んでみてください。51歳にもなって、これなんですから。

 それから、ひとつ、気になったことがあって。

 Nさんは「恵まれた生活」をなさっているのに、それなのに「こころが幸せ」ではないということで自分を責めている、そんな感じを受けました。

 私も軽井沢時代(34歳~44歳)によく思っていたものです。悩んで苦しんで死にたいとすら思う、それこそ「こころが幸せ」ではない自分を責めていました。軽井沢のすてきな家に住んで、物書きとしてもそこそこ本も出して、大好きな人と結婚していて、すっごく愛している娘もいる。周囲から見たら申し分のない人生、生活に違いない。なのに、なぜ。と。

 いま振り返って思うのは、「世間的評価による恵まれた環境」と「自分の幸せ」はまったく無関係だということです。

 むしろ、世間から見てめちゃくちゃ不幸な環境にいたなら「こころが幸せではない」自分に疑問も抱かないのでしょうね。

 このように、なんのアドヴァイスもできないけれど、たぶん、こうしたらいいんじゃないかな、と思えることは、たくさんの本を読みたくさんの映画を見たりするなかで、自分と同じ価値観のものをひとつひとつ増やしてゆくこと。これがすくいにつながるかもしれません。

 それから逃避の名言集のなかの64ページ、フィリップ・ロスの言葉も、いいかもしれない。

「そして、喜びこそが我々のテーマなのだ。短い人生のあいだで、どれだけ個人のささやかな、プライヴェートな喜びに真剣になれるか。」

「真剣な喜び」に出会えるとすこしは変わってくるかと思います。

 なによりNさんは自分の真剣な喜びのことを第一に考えてみてください。家族の喜びよりも自分の喜びです。それが実は家族の喜びの最短距離なのだと、私は思います。

 20代半ば。苦しいね。私は戻りたくない。でも、これからもそれぞれの年代それぞれのシーズン、いろんなことが起こっちゃう、たぶん。

 でも、なんとか歩いてゆきましょう、ってほとんど自分に言い聞かせていますけど。

 逃避の名言集のラストの言葉をNさんに贈りますね。これだけは忘れないでいてください。ってこれも自分に言い聞かせているかな。

「人生と真面目に向かい合う心があって、その心が涙を流して決めた道はまちがっていないはずです。いいえ、まちがいなどない。正しいこともない。まちがいとか正しいとかそんなのは人生にはない。あるのはただ、その人ひとりの生き方なのです。」

 Nさん。メールをほんとうにありがとうございました。

 貴女のアクションが、孤独なひとりの作家をこんなに励ましてくれました。それってすごいこと。もういっかい。ありがとう。

 写真はフェルナン・クノップフの「我が心は過去に涙す」、大好きな絵。昨夜はこの絵とともに夜を過ごしました。

 2017年7月4日 山口路子

 

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