◆私のアナイス アナイス・ニンという生き方 ブログ「言葉美術館」
◆アナイスと私、どちらが寂しいか
死にそうなくらいさびしい。
あのあとの、いつもの感覚だけど、今朝は強烈すぎてどうにもならないからアナイスに助けをもとめる。「インセスト」から。
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寂しくてしょうがない。私がいつもヘンリーにしてあげているようなことを、私にしてくれる人が欲しい。
私は彼が書くものはすべて読む。彼が読む本は私も読む。彼の手紙には必ず返事を書く。
彼の話を聞き、言ったことをみんな覚えている。彼のことを書く。彼に贈り物をする。彼を守る。彼のためならいつだって、誰だって諦められる。彼の思考をたどり、参画する。情熱と母性と知性をかたむけて彼を見守っている。
では彼はどうか。私のために、彼にはこんなことはできない。誰にもできない。誰にもそのやり方がわからない。私の才能、私が生まれながらに持っているものだ。ヒューゴーは私を守ってくれるが、応えてはくれない。ヘンリーは応えてくれるが、私の書くものを読む時間がないし、私の気持ちをこまかく察してもくれない。私のことを書いてもくれない。父は女と言ってもいい思い遣りはみせてくれるが、私の仕事には関われない。
私に与えられるものは不完全な、不満足な、焦燥をそそる断片だけ。
だから私は寂しい。
だから日記のなかで私は私が欲しい応えを書き綴る。
自分で自分を養わなければならない。
私に愛は与えられる。だが、愛だけでは充分ではない。どのように愛するかを誰も知らない。
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ヘンリー、ヒューゴー、父。
この三人の名を、私の場合は、って実名をあげて書きたい気分だ。
この間、親友に書いたメッセージ。
「いまね、電車のなかなんだけど、結局誰からも切実に求められていないのだという真実にたどり着いてしまったわ。先日……(略、っていうか書けない数行)それで、ひとりになってから私は、51歳にして日比谷線、泣きながら帰ったわ。不気味な女になってしまった。」
ぜんぶ、ぶちまけてしまいたい。さらけだしてしまいたい。そうすることで誰も傷つかなければそうするのに。愛しているからできない。
今日はぜったい、あの原稿書きあげる。そうでもしないと、なにひとつ、うまらない。