ブログ「言葉美術館」

◆8月5日 マリリン・モンローの命日

 

 今日はマリリンの命日。2冊のマリリンの本を久しぶりに取り出してみる。

 2012年に「マリリン・モンローという生き方」を書いたとき、私の精神状態はどん底だった。もしかしたら51年の人生のなかで一番の危機だったのかもしれない。娘がいなかったらたぶん、いま生きていないと思う。そのくらいだった。そんな状態だから、マリリンの、とくに「ミスフィッツ」に共鳴して、なかなか書き進めることができなかった。でも、矛盾するようだけれど、「マリリンを書かなくちゃ」という使命感が、私を支えてもいた。

 今年出版した「マリリン・モンローの言葉」を書いたとき、私はかなり元気になっていた。

 その本を書いたとき、自分がどんな状態だったのかで、描き出す人物像が違ってくるのは当然だろう。別人格になるわけではないけれど、微妙な色彩は違う。

「生き方」のほうは、これ以上は無理なほどマリリンに寄り添って、ほとんど同一化して書いた。「言葉」のほうは、変わらない愛情はそのままに距離感をもって書いた。それぞれの味わいはあると思っている。

 マリリンへ。あなたのことがいまでもこんなに好きです。

「言葉」のあとがきの数行を引用して、今日、あなたに捧げます。

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 マリリンはひたすらに必死でした。最後の最後まで、素晴らしい女優に、素晴らしい人間になろうとして、周囲から真面目に受け取ってもらえなくても、どんなに冗談あつかいされても、自らが信じる美を諦めませんでした。

 その姿に、イギリスの詩人ブラウニングの言葉が重なります。

―ー人間の真価は、その人が死んだとき何をなしたではなく、その人が生きていたとき何をなそうとしたかにある。

 生きていたとき何をなそうとしたか。

 マリリンの真価はまさにそこにあるのだと思います。

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 マリリンを讃えて終わりにしていてはいけない。何かをした気になっていたのでは意味がない。

 私自身、この生を生きている、いままさに、何をなそうとしているのか。8月5日という特別な日に、目を閉じて自問する。

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