■■土日を選んで意志で寝込む■■
2016/07/01
金曜日の夜から風邪をひき、土日たっぷりベッドのなかで過ごした。
土日を選んで寝込むなんて会社員のようだ、と言いながら、でもどこかでちゃんと選んでいるのではないかと、真剣に考えているところもある。
そもそも今回の風邪からして怪しい。
仮病というのとは違う。ちゃんと(?)症状はある。力も入らない。ひたすら眠れる。
けれど、これは心身の要求が反映されたものではないかと、私は怪しんでいる。
ああ、私疲れている。
と、くっきりと発音しなければならないようなかんじで自分に言ってしまうときがある。
この程度で何を言うの……、とどこかで叱咤する自分もいるのだが、事実としての疲労がそれに勝っていると心が認知したとき、私は寝込むように思う。
もちろん別の状況のときもあるけれども、ときおり、意志で風邪をひき、寝込んでいるような気がする。土日を選んで。
毎日をいかに、自分のやりたいことに忠実に過ごすか、ということに心を砕くと、心が砕けてしまいそうな環境に、しばしば置かれる(自分で選択しているとはいえ)人生のなかで、みんなどのように、そのときそのときを乗り切っているのだろうか。
あるときはごまかしながら、あるときはあきらめながら、そしてときおり、悦びで眠るのさえもったいないと思えるような瞬間をもらって、なんとか歩き続けているのだろうか。
でも私はこのようにしかできない、とつぶやきながら。
まったく。
三月も終わるというのに、氷点下の早朝、大きなマスクで顔を覆って車を走らせながら、そんなことを考えた。
そして、土日を選んで意志で寝込む、って、とても象徴的だなあ、と自嘲したのは、マイナスとプラス、保守と反動、思想と実際、このあたりの私自身の半端さが見事にあらわれている、と思ったから。
*絵は国吉康雄の「私は疲れた」