ブログ「言葉美術館」

◆『夜と霧』のなかに身を浸して

 

 親友と電話をしていて、いま、わりと苦難のなかにいるかもね、なんて話から、フランクルの『夜と霧』の話が出た。

 信じがたいほどの苦難のなかで、人を生き延びさせるものはユーモアと妄想だ、ってフランクルも言ってるし、こんなバカ話も、生き延びる手段のひとつなんだよね、そんなふうなかんじで。

 強制収容所を生き延びた精神医による、ぜったい軽い気持ちでは読めない本。

 何年も前にこの本にすくわれて、『特に深刻な事情があるわけではないけれど私にはどうしても逃避が必要なのです』という長いタイトルの名言集でも、この本を紹介している。

 現在の自分の状況と強制収容所での日々を重ねようなんて思っていない。

 ただ、苦難のなかにあると、自分自身の醜い面が出てきて絶望しそうになる。胸のなかでぐるぐると醜い言葉を吐いている私という人間に絶望してしまいそうになる。

 だから親友と電話を切ったあと読書をした。『夜と霧』をラインをひきながら泣きながら読んだ。さいきんは締め切りに追われながらタンゴを踊り、そして今後の経済生活について考える日々ばかりだったから、こんな読書は久しぶりだった。

 想像を絶する収容所生活のなかで、人間的な感情を捨ててしまう人と捨てない人とがいる。それは被収容者も収容者を監視する側(ナチス)も同じだ。被収容者のなかにも、人間であることをやめてしまう人もいるし、監視する側の人間のなかにも、人間であることをやめない人とがいる。

 フランクルは生き延びた。そして収容所生活をふりかえって、こう言い切る。

 世の中には二種類の人間しかいない。まともな人間と、まともではない人間である。

 「まとも」が原語では何なのか私は知らないし、違う邦訳もあるだろう。魂の美しい人間と、美しくない人間。そう理解してもいいように私は思う。

 魂の美醜については、20代のころから思ってきたことだ。

 世の中には平気で人を傷つける人がいる、殺す人がいる、そこに快楽さえ覚える人もいる。

 娘に対しても幼いころからほかのことは言わなくても、そのようなことは言ってきた。私はそう思う、と言ってきた。だからあなたも、人の魂の美醜を見抜ける人になってほしいと。それが自分の身を守ることにもなるのだと。そしてなにより、お勉強なんてできなくてもかけっこが遅くてもいいから、魂の美しい人であってほしいと。あなたには少なくとも半分、美しい魂が受け継がれているのだからと。半分は私のあやふやな魂でごめんね、と。そんな教育が良いか悪いかはわからない。でも、私はそう思う、と言ってきた。

 ところが、いま、ちょっとした苦境を人生から与えられて、私ときたら、こんなありさまだ。からだのなかを醜い色の血がぐるぐるとまわって胃が痛む。吐き気がする。

 そして、フランクルの『夜と霧』を読んでよかった。

 私は、美しい、まではなれなくていいから、せめて醜い側の人間にはなりたくない。フランクルがいう、まともな人間でありたい。

 そして、逃避の名言集でも書いたことを今一度、自分に言い聞かせようと思う。

 もういいかげん「何のために生きるのか」なんて考えるのをやめて。生きるということはひとつの責務なの。苦しむということは、もうそれだけで、何かをなしていることなの。だから絶望しないで。

 人生ではそのシーズンごとにさまざまな課題が与えられるってフランクルも言っているから、いま、自分自身に与えられた「具体的な課題」を前に、私は私なりの精一杯で美しく、その課題に取り組みたいと願う。

 みな、それぞれ、必死で大切なものを守ろうとしているだけなのだ。私がいましなければならないことは、私自身に与えられた愛情を、あたたかく受けとめることなのだと。

 『夜と霧』にすくわれて、翌朝目覚めて、タンゴのロマンティックな曲を聴きながら珈琲を飲んで、私の周囲の人たちをひとりひとり思い浮かべてみれば、私はなんて恵まれているのかと思った。

 こんな私のために何かをしようとしてくれる人がいる。離れないで見守ってくれる人がいる。愛してくれる人さえいる。

 執筆に集中できない状況が続いて、次の本の締め切りを延ばす、つまり、刊行時期をひと月延ばすということをしてしまった。こんなことは、ほとんどないことだ。編集者さんは「いまなら間に合いますから、ひと月延ばして、よい本を作りましょう。がんばりましょう」と言ってくれた。彼女の想いに応えたい。

 私は自分にできる方法で、与えられた愛情を還元するシーズンを生きているのだと思う。いまの私にとって書くことは、そういうことなのだと思う。私のこの経験から生み出された言葉が誰かのすくいになれば、それだけでなんらかの価値はあるのだと思おう。

 タンゴで生命のエナジーを得てすこしだけ強くなったのだから、がんばって。と自分に言い聞かせるひとりきりの夜。

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