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◆中田耕治先生と「月見てー」と「ブレードランナー」

 2017年11月5日は敬愛する中田耕治先生の90歳のお誕生日だった。

 千葉で先生のお誕生日の会が開催された。先生を慕う40名を越す人たちが集まった。男性は一人だけというところがいかにも中田耕治先生。

 ゆっくりとお話できたわけではないけれど、それでも先生にふれていると、さいきん薄れがちな「ほんもの」に対する愛情が身体の奥底から湧き上がってくる。私にとって作家中田耕治はそういう存在だ。

 言い訳ならいくらでもあるけれど、それでも私はしっかりと自分がなすべきことをしなければならない、自分を恥じることなく先生とお話できる、そんな人間でありたい。

 そんなふうな強くて熱い感情を胸に抱いて、帰りの電車に乗った。大好きな優しい女性たちも一緒だった。電車に乗ってすぐに携帯電話をチェックした。ラインが届いていたので見ると娘からで、ひとこと「月見てー」とあった。すぐに窓外に目をやったけれど、月は見えなかった。途中、わずかに見え隠れしたけれど、ちゃんとは見えなかった。

 学芸大学の駅に着いて、空を見上げた。満月から少しだけ欠けた月が浮かんでいた。娘のラインは18時過ぎに届いていた。きっとその時刻、月はもっと低いところで大きかったのだろう、と想像した。とっても美しかったから思わず送ったのかな、と想像して、なにかとてもあたたかな想いが胸に広がった。

 美しいものを見たとき、それを誰と共有したいと思うか。美しいものを見たときに浮かぶのは誰なのか。

 たったひとりが浮かぶときもあるし、何人かの顔が浮かぶときもある。たいていはひとりだ。

 春にブルージュを訪れたとき、シャルトルを訪れたとき、私はたったひとりのひとだけを思い浮かべていた。彼とこの美しさを共有したいと切に願っていた。

 大学生活を謳歌している娘は、早いうちから親離れをしていて、生活面ではまるで家政婦のように私を乱雑に扱っているけれど、精神的には母親べったりとは程遠い。私がしていることを距離をもって眺めている、そんなかんじ。だから「月見てー」が意外だった。母親べったり状態だったら、そのようなことを私に送ることを困ったこととして受けとったかもしれない。

 先日、「ブレードランナー2049」を観た。ふだん単館上映のものばかり観ているから、久しぶりのシネコンで、ポップコーンの匂いとそれを探る音が嫌だったけれど、そして映画は、私にとって、そして一緒に行った彼にとっても期待にはとうてい及ばなかったから残念だったけれど、感慨深い夜だった。

「ブレードランナー」をはじめて観たのは、26歳のときだった。それを私に見せてくれた人は当時「ブレードランナー」を自分のなかのベストとしていて、好きになった女性には必ず見せるんだ、と言っていた。そして私にも見せてくれた。その彼が映画館で隣に座っていることに、しみじみとした想いが胸いっぱいに広がっていた。

 これは続編ありの終わり方だから、きっと続編が作られるね。何年かたって、続編が作られているっていううわさがあるよ。また何年か経って、続編はもうないらしいよ……。でもいつか作られたら、そのときは一緒に観られるかな、もうどちらかが死んでいるかもしれないね、なんて話をしたこともある。

 はじめて観てから25年。私たちにとって特別な映画「ブレードランナー」の続編を観る前に、彼に「月見てー」の話をした。とっても嬉しかったの、と。そうしたら彼はそれは彼女に伝えた方がいいよ、と言った。私は、伝えるけど、ふーん、よかった、であっさり終わると思うから、忘れないうちにブログに書く、と言った。

 人生の嵐のような時期をいま、必死に生きているけれど、こういうひとときにすくわれる。中田耕治先生の存在も、「月見てー」も、ブレードランナーを共有した想いもすべて私にとっては、ずっしりと重くそして美しい、ほんものなのだ。それ以上、何を望むのか、と自らに問いかける。

*写真はお友だちのりきちゃんに撮ってもらったプロフィール用の写真のなかから不採用の一枚。

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