◾️冬の月
昨年末12月22日は上弦の三日月がくっきりと見えて、五本木の交差点でたちすくんで、私はそのとき、10年間の軽井沢生活のなかでいちばん綺麗だった三日月を想い、胸がぎゅっとなった。それからいつもの詩を思い出した。
詩をどう定義するかだけど、私にとっては詩として認識されている。もう20年以上前にふれて、ものすごく好きで覚えていて、ノートにも書いていたから、ブログのどこかにあるんじゃないかと検索してみたけれど見つからない。10冊くらいあるノートを全部探すまでの気はないから正確な引用じゃないけれど、20代の半ばころ立て続けに読んでいた内田春菊のエッセイか漫画のなかにあった言葉で、こんなかんじ。
「今夜も爪のような月がゆれている
首筋を、きしきしと音が出るくらいに噛んでください
そして私が声をあげたら
それが嬉しい声なのか悲しい声なのか
聞きわけてほしい」
…… 肩を、刻印が永遠に残るほどに噛んでください。
って自分好みに変えて、私は三日月を見るとき、頻繁にこの詩を思い出していたのだった。
それにしても、その夜の三日月は息をのむほどに美しくて、その印象が強烈だったから、翌日、タンゴサロン「ロカ」のミロンガで、「冬の月」という名のお酒のラベルを見たときには、驚きとともにつよく胸をうたれた。
そしてすぐに外に出て、夜空に昨夜よりも少しだけ厚みを増しているはずの三日月を見たかった。けれど、私はそれをしなかった。すごく見たかったのになぜか、とあとから考えた。
そのとき、好きな人たちに囲まれておしゃべりをしていて、たぶん彼らは私がそんな行動をとってもさらりと受け入れてくれたのだろうけど、三日月が見たい、とか言ってひとり外に出るような女ってどうなの、と躊躇したのだった。そんな行動はおとめちっくすぎるでしょう、にあわない。
よくわからないけれど、いま私は、そういう行動を抑制する自分自身のなかにあるへんな規律みたいなのを取り外したいと願う。
この小さなエピソード以外にも、年末はよく月を見ていたように思う。
そして年が明けて、淡水で今年はじめての夕陽を見て、それから、移動用のバスに乗って車窓から空を見上げたとたんに、白い満月が目に飛びこんできて、ひとり声を上げた。ちょうどイヤホンでsuperflyの「輝く月のように」を聴いていたこともあるけれど、大好きなひととバイバイしたあとに、もうひとりの大好きなひとにばったり会ったかのような、そんな感覚で、ほんとうに驚いた。
そして年明け早々に、お友だちからポルノグラフィティの曲をいくつか聴かせてもらう機会があり、そのなかに「今宵、月が見えずとも」があって、ああ、また月だ、と思った。
数年前に、はじめて娘に会った友人が、彼女は深い洞察力と愛情に満ちたひとなのだけれど、「あなたたちは月と太陽。太陽の存在があったから路子さんは生きてこられたのね」と言っていたことをいま思い出す。
「どれくらい感謝したって足りないから
あなたを全心で見つめ返す
太陽の光を浴びて輝く
夜空の月がそうしてるみたいに」(輝く月のように)
あなたは私を照らす太陽、あなたに出逢ったから私は輝ける、愛をもう一度信じてみるね、あなたが苦しいときは守ってあげたいから強くなるね。……そんな内容の愛の希望にあふれた歌。
「今宵、月はどこを照らすの?
厚い雲に覆われた空
今宵、君は誰に抱かれているのか
雨に一人泣こうか」(今宵、月が見えずとも)
愛するひとを失い、自虐的なほど冷徹に自省し、苦しみのなかにいる事実を語る歌。
私はどちらの月も愛する。
だって、太陽によってまぶしいほどに夜空を照らす月も、厚い雲に覆われて光を差し出せないでいる月も、同じ月。
そして、輝いているときも、そうじゃないときも、同じ私だから、どちらも愛してほしい。
……って、これこそおとめちっくかな。